見出し画像

平等と言う幻想                                         あるいは平等と言う差別

自分は仕事人生の半分以上が外国になります。 
多くの部下は外国人でした。 
日本に戻ってから、日本人の部下も育てるように、 
社長から指示されましたが、外国の同年代の人と比べると、 
意欲がない、可愛げがない、努力が嫌い、 
上司の言うことに耳を傾けない、上昇志向はあるが、 
根拠のない自信をもとに考えを進める。 

何人かは、話を聞く耳を持つ部下もいました。 
ただ、それもほんの少数。 

海外で育てた部下はその国で課長や部長や工場長になり、頑張っています。 
日本で部下を育ててこなかった我々に問題があるのかもしれません。 

人を育てるには多くの時間と労力を伴います。 
日本に戻った時には新人とは30年以上の年齢差があり、 
自分には新人を育てるにはリソース不足、特に時間が不足していました。 

企業が利潤を求める以上、
海外のほうが儲かるので仕方がないかもしれませんが、
それでも海外に手を伸ばさなかった企業でも、
教育にかなり問題があるような気がします。


ただねぇ、何でも平等だとか、平等でなければいけないとか、
ジェンダーレスだとか、
学校教育や、親の教育などが、間違っているとも思いますよ。

自分がいた中国に限りませんが、
同じ国民で違う言葉で話していたり、
同じ国民で違う宗教を信じていたり、
目のない人、腕のない人、足のない人が普通に街中にいたり、
完全に精神を病んでいる人が街中をさまよっていたり、
子供がピストルをもっていたり、
チンピラが刺青をさらして商売していたり、
乞食を仕事にしている人がいたり、
娼婦を仕事にしている人がいたりします。

スリランカは公用語が二つあります。
タミール人とシンハラ人の国でもあります。
敬虔な仏教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒の
国でもあります。
民族対立はありますが宗教対立はあまりなく分離して生活をしています。

日本の歴史を振り返ってみれば、自分が小学生の時は、
普通に身障者や精神障害者が学校に居たり、クラスに居ました。
しかし、中学になるぐらいから擁護クラスが出来、
障害者と同じクラスになることは無くなりました。

日本では、
学校内でそのような(精神障害・身体障害の)子供とは
分けて教育するのに、何が平等なのでしょうか?

朝鮮学校や、キリスト教の学校、仏教の学校など、
同一の教育をしていませんよねぇ。
これで、日本の教育は平等なのでしょうか?


乞食も今の日本は見なくなりました。
ホームレスなどは自分で稼いで生活をしています。
確かに公共の場所、公園などに、家を建ていて迷惑ですが、
日本の平等の概念からは、排除する人々になっています。 
これで日本は平等なのでしょうか?

噂では幼稚園や小学校の運動会では徒競走でも
全員でゴールすると聞きました。
優劣をつけない教育という事でしょうが、
社会に出れば嫌でも優劣は付きます。
能力ない人は企業内で生き残れません。
もし、優劣をつけない企業があったとしたら、
企業として、企業も生き残れません。

学校とは違い、企業では障害者を雇用する企業も増えていますし、
障害者の作業能力を測る、モダプツ法などあり、
自分も実際に工程評価に使用していました。
これは作業時間の標準化を経験からではなく、
理屈から紐解き作業の標準時間を決める方法です。
経験を積む前、モダプツ法から割り出した時間の
何倍かかってるかを計測し、15日後には何倍以下にする。
また、1か月後にはモダプツ法の時間内に作業が終わるように
指導、教育をすると言うような使い方をしていました。
もちろん、受注見積もり段階でも作業時間を計算し、
利益が出るような人件費の計算もしていました。


人はみんな違うことを認め、違うから面白いと、
不平等な現実を見つめ、笑って生きれる社会のほうが
よっぽど健全な気がします。


平等と言う現実に合わない理想?妄想?の世界を見ても
今が良くなるわけではありません。

違いがある、だから面白いと、なぜ教えないのでしょうか?

違いを隠して、平等を教えるから、
逆に隠れた差別やいじめ、
特に匿名のネットの世界で広まるのではないでしょうか。

笑って生きれた方が人生には良いと思いますがどうでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?