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世直しリョウ君の日記帳 第二話:キレイ好きな娘さんのこと


「『イヤよ、そんなキタナイの!何で私がそんなコトしなきゃいけないの???』…だってさ…いきなり娘にそんな風に言われてさ、さすがにオレも落ち込んだよ…」
目の前の男は力なくそう言うと、床へと視線を落としため息をついた。

彼は僕の得意先の部長さんなのだが、何故か気に入られて月に数回お昼をご馳走ちそうになっている。娘をひとり育てただけなので、僕と話していると息子のような気がすると、以前言われたこともある。年のころは50も過ぎ、そろそろ髪が薄くなりかけたようにも見受けたが、うつむいた拍子にのぞかせた『おつむ』のさまには日々激務と向き合う営業職の苦労が感じられた。

「そうでしたか。大変でしたね。でもね、部長さん。娘さんなんて、きっとそんなものかもしれませんよ。それに信頼する父親だからこそ、そうやってワガママを言えるのかもしれませんし。」
僕はささやかな助け舟を出そうとしたが、今日はいつもに増して嘆きが深いようだ。

「でもねリョウ君、大事なひとり娘と久々に話せたと思って喜んだ挙句にそんな物言いをされてごらんよ。さすがにオレだって色々言ってやりたくもなるってもんじゃないか?さすがに口には出さないよ。でもねリョウ君、『オマエのオムツを寝ずに変えたのは誰なんだ?オマエがおしりから出してたモノを文句も言わずに変えたオレは何なんだ?』そう言ってやりたくもなるもんさ…」

「…言わなくて良かったですね。ソレで正解だと思います…」
そう言いかけて僕は、慌てて口を押えた。仲良くさせて頂いてはいるが、あくまでお得意先の、しかも忙しい現場を仕切る部長様なのだ。息子のような、と言ってはもらえたが、所詮しょせんは一介の若造に過ぎない。僕が部長さんの経験ある立場に敬意を表するからこその関係性なのだから、友達相手のような迂闊うかつな物言いは控えきゃいけない。僕は部長さんの心に溜まった嘆きを伺いつつ、目の前のサンマと味噌汁の定食を控えめに口にしよう、そう心に決めた。

部長さんの嘆き節を要約すると、そろそろ結婚しても良いかな、ある日曜の昼に突然娘さんが言ってきた。相手がどうとか、そんな地雷は踏まなかったが、なら結婚に備えて花嫁修業のようなこともしたらどうだろうか。そうだ、トイレ掃除なんていつまでも母さんに任せてないでそろそろ自分でもしてみたらどうか?そう娘さんに言った途端、彼女は目の色を変えて部長さんに文句を言い出し、話はそこで終わったそうだ。それから数日、彼女が部長さんに話しかけることはないそうだ。

「でもねリョウ君。結婚なんて今の時代に合うかどうかとか、そんな話をしたい訳じゃないんだ。倫理観や価値観なんてその時々で変わっていくモノだからね。僕が若かった頃には『結婚は女の幸せ、結婚するまで女は純潔を守るべき』なんて真顔で言うご婦人方もホントにいたんだからね。今そんな物言いをしたら、さすがに『コイツ化石?』って、そう思うだろう?でもねリョウ君、結婚は恋愛とは違うんだ。相手の背中に、色々な面倒事もついてくる。相手の両親とか親戚付き合いとか、それこそご近所さんだってそうさ。キレイごとじゃ済まされないコトだって当然あるんだ…もちろん娘は大事に育ててきたつもりなんだけどね…さすがに今回は『コイツ大丈夫?』って本気で心配になったよ。ああ、でもリョウ君、話を聞いてくれてありがとう。何かしらスッキリしたよ。こんな話で申し訳ないね。さあ、遠慮せずに食べて食べて。」

話の谷間に、僕は冷めかけた皿にようやく箸を伸ばした。しっかりと焼かれた頭を持ち上げ見ると、ふとサンマと目が合った。『所詮しょせんはまな板の上の鯉、ならぬ秋刀魚サンマ。オレもオマエも部長さんも同じだよ。』何故か食べかけのサンマにそう言われたような心地がした。

実際娘もいない、なんなら奥さんすらいない僕には何の実感のない話だ。でも部長さんの受けた仕打ちと、受けたダメージの大きさは痛いほどに理解できた。さすがにこのおハナシひとつで娘さんがどう、というコトにはならないが、現代を生きる女子の生き方や価値観がうかがいしれる一件には違いない。普段物腰柔らかく穏やかな部長さんがふとみせた苦悩に、僕は慰め同情するより他はなかった。

「ねえリョウ君、旬じゃないけど意外と美味うまいもんだね。」
ひと口、ふた口と箸を進めた部長さんが嬉しそうにつぶやいた。
「ええ、そうですね。美味おいしいです。」
僕は部長さんの笑顔に父の面影を思い出していた。目の前のサンマは、全てを悟ったように静かにその身をさらしていた。




イラストは、いつものふうちゃんさんです。
いつも本当に、ありがとうございます。


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