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世直しリョウ君 第一話:イタ過ぎたオトコ③


ヒトを前にして、ヒトは様々な感情を抱く。それが嬉しいとか楽しいとかpositive前向きな要素なら正のエネルギーを感じ、逆に苦手意識や不安、怒りとかnegative後ろ向きな要素なら負のエネルギーを感じる。正のエネルギーでは幸福感や満足感を得られる一方、負のエネルギーが強すぎると絶望感や激しいストレスを感じてしまうものだ。結果、ヒトはココロを痛め、傷つくこととなってしまう。原因は様々だが、僕の考える中ではヒトのパターン分類に従った対処方法が知られていないことが大きいように思う。

例えば反社や威圧的な態度を好むヒトの場合、多くは相手を従属させる目的で怒鳴ったりモノを破壊するなどの威嚇いかく行為に及ぶ。相手が反抗できない立場だとわかると、彼らはさらにエスカレートして暴力行為に及び、より相手を従属させ支配しようとする。冷淡な言い方にはなるが、コイツらは相手を見た目で判断し、容易に対応を変えてくる。彼らは強者に逆らうことはしないし、弱者をいたわることもしない。ヒトは幼少期に不幸にしてこの手のイベントやトラウマを経験すると、その結果誤ったストレス対応の仕方をしてしまう。そして大人になってからもその対応が難しくなる。お酒が強いとか弱いとか、個人により差があるが、同じようにストレス耐性にも個人差はかなりあるようだ。

それにヒトの持つ攻撃性は本人の未熟さも大いに関係している。発達特性の問題に精神的な未熟性、それに言語理解・表現の未熟性といった脳の構造的な問題に加え、ストレスを受けた際の反応性、アウトプットの仕方に問題がある場合もある。

職場で挨拶回りのしている間、僕はそんなコトを考えながらコイツの相手をしていた。話を聞いている風を装い、目も合わせ、相槌を適当に返す。学生時代に心理学の教授に『そういう時って、何を考えていますか?』、そう聞いたことがある。『そうだね、慈悲の心を持ち、憐れみの心を持つことで軽蔑や嫌悪感を抱かないように気を付けているね…』教授は笑顔でそう話してくれたが、今ではその意味が分かるような気がする。この感覚が理解できるのは、きっと死刑囚を診察するお医者さんか牧師さんくらいだろうか。でも軽蔑という行為は自身を守ろうとするストレス反応のひとつに過ぎない。悟りを開くかのように受け流す、のだ。感情の揺らぎすら起こさない、『諸行無常…』感。僕の心の中ではそんな念仏が繰り返されていた。

ここ最近、色々なコトがあった。無邪気にして害悪を成す残念なコイツ、同じように無邪気にして人生を間違ったかもと後悔している奥さん。どちらも僕を前にして、同じように無邪気に本心を話し、さり気なく同意や共感を求めてくる。面倒にも思うが、でも僕にはヒトの愚かさとある種の『可愛かわいげ』が見えるようで可笑しくもあった。だから僕は彼らのために一興を案じ、共に演じることを思いついたのだ。



イラストは、いつものふうちゃんさんです。
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