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藤子・F・不二雄ミュージアムに行く

月曜日、僕は有給休暇を取って、
母と二人で藤子・F・不二雄ミュージアムに出掛けた。

僕は川崎市に住んでおり、藤子・F・不二雄ミュージアムはかなり近い。
近いとあまり行く機会もなく、前回行ってからだいぶ月日が経ってしまった。

僕は小さい頃からずっとドラえもんが好きである。大人になった今でもその愛は変わらず、
むしろ加速しており、他のF作品も今では大好きだ。

今年は藤子・F・不二雄生誕90周年であり、
特別な原画展が展開されているため、
久しぶりに行ってみようとなったのだ。
母は完全に付き添いで付いてきてもらった。

あいにくの雨ではあったが、平日ということもあり混雑しておらず、ゆっくりと展示を楽しむことが出来た。

今は藤子・F・不二雄生誕90周年記念の原画展が開催されている。
先生の趣味である恐竜や鉄道模型や映画など
「好き」から生まれた作品にまつわる展示が行われている。

先生の趣味への探究心が垣間見え、
漫画の随所に徹底したリアルさが描かれていた。
これを描くのにどれだけの時間を費やしたのだろうと展示を見ながら感服した。

展示室には先生が実際に所有していた鉄道模型のジオラマも置いてあった。
本物のように広がる小さな世界は僕の心を掴んで離さず、ワクワクさせた。
そして、僕はジオラマをじっくり眺めながら、小学3年生の頃のある記憶を思い出していた。

僕にはその頃仲良かった「くりちゃん」という友達がいた。
僕がドラえもんを好きになったきっかけは
くりちゃんの家にドラえもんがあったからである。

僕は毎日のようにくりちゃんの家に遊びに行き、漫画を読ませてもらっていた。くりちゃんの家には大きな本棚があって僕の知らない漫画が沢山並べられていた。くりちゃんは「好きに読んでいいよ」と言い、各々別の漫画を一日中読みふけった。
時には、自分たちで自由帳に自作のドラえもんの漫画を描いたりして遊んだりもした。(僕はそのノートを今でも捨てずに持っている)

くりちゃんは鉄道模型も沢山持っていた。
ジオラマで作った世界に僕たちは想いをはせ、
架空の駅名を付けたり、架空の町を創り出して遊んでいた。
他の子供たちが携帯ゲーム機で遊ぶ中、
こんなイケている遊びをしている子供は僕たちの他にいなかった。
僕にとってくりちゃんは沢山の楽しい遊びを知っている、誇らしい友達であった。

しかし、くりちゃんと仲良かったのは小学3年生のその時だけであった。
喧嘩したわけではないけれど別々のクラスになると、くりちゃんとは遊ばなくなった。新しいクラスになり新しい友達がそれぞれ出来たという小学生によくある話である。

その後、くりちゃんは中学受験をしてしまい、
完全に疎遠になってしまった。

今くりちゃんは何しているだろうか、
僕は展示されている鉄道模型を眺めながら
くりちゃんのことを思い出していた。

くりちゃんがまだあの頃と同じように
ドラえもんを好きでいてくれたら、
鉄道模型を好きでいてくれたら僕は凄く嬉しいと思った。

いや、きっとそうに違いない。

藤子・F・不二雄作品にはいつでも童心に戻れる力を持っているのだから。

僕は先生ほどピュアな人間はいないと思っている。
「空を飛べたら」「タイムマシンがあったら」「スーパーマンになれたら」
子供たちが日頃思っている空想を漫画という形で実現してきた。
そして、その漫画の世界を一番先生自身が楽しんで描いている。

「好き」という気持ちから作品を生み出し続けてきた先生の漫画は今もなお、多くの子供たちに夢を与え続けている。
改めて凄いことだなと思った。

僕もここまで何か熱中することはあるだろうかと考えた。
僕は「書く」ことが好きである。
この文章も好きだから書いている。
自分も「書くこと」に本気で打ち込んでみようと思った。

それがたとえ駄目でも、自分が「好き」だと思う気持ちがあり続ければ、
書き続けることが出来ると思った。
またひとつ、僕は先生から勇気をもらった気持ちになった。

展示を見終わった後は、おみあげコーナーでグッズを買った。

ドラえもんのフィギュアとトランプと公式図録

今回の原画展の公式図録を買ってしまった。
僕はこういう本が本当に大好きである。
何かの作品展に行った時は必ず購入し、家に帰ってから展示の内容を思い出しながら何回も楽しむのである。

5000円も使った僕に対し、母は真底呆れかえっていたが好きなのだからしょうがない。

「好き」な気持ちを止めたらいけないのだ。



おまけ

雨の日限定なのか帰り際にお姉さんからアメを貰いました。
可愛くて食べるのがもったいないです。

雨の日に行って良かった。


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