西洋近代と日本語人(仮題) その9

3. 暴力について ――人類学風の考察―― (続き)

暴力とヒトの社会性(続き)

3.197. 進化生物学の素人談義からなかなか脱け出せなくなっている。人類における協力の進化と戦争の始まりという主題をちょっと考え始めたら、議論が終わらなくなってしまった。

3.198. もとはといえば、日本語人は西洋文明の生み出した〝近代modernity〟という時代をうまく生きることができないでいる、と確認したかっただけです。日本語人は近代国家の暴力性と自分自身の関係をうまく把握できていない(その2:3.1)。だから憲法と自衛隊の矛盾を放置している(同:3.2)。人間と暴力の関係を基礎から考え直さないといけない。

3.199. 侮辱にカッとなって男が暴力に及ぶのは、交尾機会を求めて地位を争うオスの習性だろう。生物界に広く見られる現象で、さしあたり考慮の外に置いてかまわない。正気の人間がよく考えをめぐらして計画的に殺しを実行するのは、狩猟と戦争だ。狩猟は、動物殺しをめぐる神々と人の交わりなかで、ある疚しさをともないながら可能になる(3.10~3.65)。では戦争はどうなのか(3.71~)。

3.200. 戦争も、敵の打倒を命ずる神々の語りのなかで、気の進まなさとともに実行される(まだ論じてない)。現代の日本語人は、天皇制イデオロギーが瓦解して後、敵の打倒を命ずる語りをもつことができないでいる(これもまだ論じてない)。対外的と対内的の暴力は、統治権力の核心にある(3.1~3.5で論じた)。現代の日本語人は、対外的な暴力を肯定する言説をもっていない(まだ論じてない)。私たちは、西洋近代思想が権力の肯定のために生み出した言説を知らず、理解せず、その言説を生きていない(まだ論じてない)。結局、日本語人は西洋文明の生み出した〝近代〟という時代をうまく生きることができないでいる。と、まあ、こう論じたいわけです。目標地点は見えている。だが途中の論点をひとつひとつ吟味するのは簡単じゃない。

3.201. 「では戦争はどうなのか」に答える途中で、進化生物学の扱いに手間取ることになった。いま取り組んでいる問題は以下です。

(ア)人類は、協力することを通じて、戦争が可能となるように進化した、

というのは事実だろう。だが、

(イ)人類は、戦争することを通じて、協力が必然となるように進化した、

というのは事実ではないだろう。この(イ)は、ボウルズ&ギンタス(2017)*の主張です。かれらはけっして

(ウ)人類は、協力することを通じて、戦争が必然となるように進化した、

とは言っていない。ここは間違っちゃいけない。だが(イ)は、戦争が協力の進化に不可欠だったという主張ではある。協力という人間性の本質部分に戦争を組み込んでいるように見える。それはちょっと違うんじゃなかろうか。という次第で、かれらの主張を取り上げて論じてきました。でも、そろそろけりをつけたい。以下、けりをつけるための議論です。

注*: ボウルズ&ギンタス(2017)『協力する種 制度と心の共進化』竹澤正哲[監訳]、大槻久、高橋伸幸、稲葉美里、波多野礼佳[訳]、NTT出版。(原著、Bowles, S. and Gintis, H. (2011).ACooperative Species: Human Reciprocity and Its Evolution.Princeton UniversityPress.)

3.202. ボウルズ&ギンタス(2017)は、人類における協力の進化を決定的に促進した要因の一つは戦争であると主張しました。

「協力的な成員を多く抱える集団は、集団間の競争に勝ち抜いて、非協力的な成員が多い集団の支配する領土に侵入しやすくなるため、繁殖上有利となる。…〔中略〕…集団間競争に敗れることは極めて深刻な結果をもたらし、利他的協力者の貢献は競争に勝ち抜く上で決定的な意味を持っていた。(ボウルズ&ギンタス2017,12)」

「何よりも、武器を操作する能力が獲得されたことで、集団間の葛藤はより暴力的になる。〔進化にかんする〕一連の出来事の帰結として、集団間の競争が、進化におけるより強力な淘汰圧となった。(ボウルズ&ギンタス2017,14)」

3.203. 上の引用に見られる「集団間の競争(between-group competition)」や「集団間の葛藤(intergroup conflicts)」という表現は、これだけ見れば戦争のみを指すとは言い切れません。しかし、焦点として問われるのが、「人類の祖先が、死亡率の高い集団間葛藤を頻繁に繰り広げていた証拠(ボウルズ&ギンタス2017, 176)」なので、この議論の文脈では、集団間の競争や葛藤として致死的な集団間紛争、つまり戦争が想定されているのは間違いありません。(なお、邦訳は“conflict”を「葛藤」と訳出しています。私の語感では、「葛藤」は対立や抗争の心理的な側面に重点がある。以下、邦訳からの引用を除き、集団間の暴力的なconflictは、「葛藤」ではなく「紛争」といいます。)

3.204. 戦争とは、ここでは、「ある集団に属する複数の成員が結託して、他集団の1人以上の成員に身体的な危害を加える事象(ボウルズ&ギンタス2017, 188)」を意味するものとします。この定義によれば、ある集団の二人組が別の集団の1名を痛めつけた場合でも戦争ということになる。今の場合、小規模の致死的紛争まで覆うように戦争の定義を拡張するのは、むしろ妥当です。というのも、農耕開始以前、進化の大半の過程を、人類は非定住型の採食民(nomadic foragers)として、数家族からなる小集団、いわゆるバンド(band)を作って生きてきたからです。戦争を数十名以上の兵士たちが衝突する事態と見なしていると、バンド規模のごく小規模の紛争は見落とされてしまうでしょう。

3.205. ボウルズとギンタスの以上のような主張に異を唱える場合、先に述べたように(その6:3.99~3.101)、その異論には三つの類型がありえます。第一は、協力の進化をうながした要因として戦争以外の候補を挙げること。第二は、戦争が人類進化の過程で頻繁に起きていたとはいえないと示すこと。第三は、現生人類はそもそも戦争に耐えられるように進化してきてはいないのを示すこと。この三つを合わせると、協力は戦争以外の要因でも促されるし、そもそも人類の進化過程で戦争が強い淘汰圧になっていた事実はなく、したがってまた、人類は戦争をするように進化したわけでもない、という反論を構成します。

3.206. 私としては、人類進化を百万年単位で見た場合、ホモ属同士の集団間の殺し合い、つまり戦争が協力の進化の決定的要因だったという主張よりも、そうではなかったという反論の方に分があると思います。しかし、農耕開始後の最近1万年くらいを考えると、村落共同体から都市国家、地域国家、国民国家にいたるさまざまな共同体の勃興や衰退については、戦争が決定的要因の一つだったという主張が成り立つだろうと思います。戦争の重要性は進化的にはごく最近のことだろうと考えるわけです。
 それでは、以下、ボウルズとギンタスへの異論を検討します。

3.207. ボウルズとギンタスは、致死的紛争の存在を推定する根拠として、人口の動態に着目しています。「2万年前までの10万年間、ヒトの人口増加率は極めて緩やか」だった(ボウルズ&ギンタス2017, 179)。増加率の推定値は0.002%から0.1%程度と見込まれている(同上)。ところが、人口動態モデルと狩猟採集社会の人口統計データによれば、「潜在的には2%を越える増加率が可能だったはず」(同上)である。この潜在的増加率と実質的増加率の差は、「頻繁に人口が激減していたと考えれば矛盾なく説明できる」(同180)。

3.208. では、その人口激減の原因は戦争だったのかというと、ただちにそうは主張しません。かれらが最初に挙げるのは、「不安定な気候が寄与していたことは間違いない」(ボウルズ&ギンタス2017, 180)ということです。現在から遡って約9万年前まで気温変動のデータが挙げられています(下図)。さまざまなデータによって、後期更新世において「北半球では……変動しやすい気候が一般的な現象であったことが示唆されて」(同上)おり、「わずか2世紀の間に摂氏8度もの平均気温の変化が生じた」(同上)と言われています。これは非常に大きな平均気温の変動です。

220121ボウルズ&ギンタス(2017)p.180気温変動図

3.209. このような激しい気候変動の下にあって「高い死亡率、頻繁な人口の激減と拡散」(ボウルズ&ギンタス2017, 180)が生じる状況では、互恵的利他性の進化は困難であり(同181)、また種々の遺伝的データに基づくと、血縁淘汰モデルの妥当性も低い(同182-187)。したがって、協力の進化を説明しうるのは複数レベル淘汰のみであり、強力な淘汰圧は集団間の致死的な紛争だった、と論じて行くわけです(同187-193)。すなわち、

「後期更新世の激しい気候変動は自然災害や断続的な食料不足をもたらしたはずである。いずれも狩猟採集社会において集団間葛藤を引き起こす重要な要因であることが歴史的な記録から明らかになっている。」(ボウルズ&ギンタス2017, 191)

3.210. ここで疑問が浮かびます。かれらは、激しい気候変動が食料不足をもたらし、食料不足が集団間の紛争をもたらし、集団間の紛争が協力的に戦う集団に有利さをもたらした、と推論している。しかし、同じ食料不足が食料採集において協力する人々に有利さをもたらした、という推論も成り立つはずです。気候変動と食料不足が、まずもって食料獲得そのものにおける協力を促したというのは、食料不足が集団間に戦争を引き起こし、その戦争が協力を促したというより、素直で単純な発想だと思います。

3.211. というわけで、これがボウルズとギンタスの主張に対する第一の異論となります。更新世の気候変動が食料不足をもたらし、食料獲得において協力することに成功した人類集団だけが生き延びた。こう考えれば、ことさら戦争を介在させなくても、協力の進化は説明できる。

3.212. 人類進化のうえで食料獲得における協力を重視するのは、これまでも幾度か参照してきたマイケル・トマセロです。ただし、トマセロの考えがボウルズ&ギンタス(2017)への異論になり得るというのは私の考え――というかトマセロの論考とボウルズ&ギンタスを並べて読めば誰でも普通にいだく考え――であって、トマセロ自身がわざわざボウルズとギンタスの名をあげて批判しているわけではありません。

3.213. トマセロの語る進化的な過程は、200万年前にホモ属がアフリカに登場したところから始まります。この時期、世界は寒冷化しており、地上で生活するヒヒなどのサルの大規模な拡散にともなって、霊長類の常食である果実その他の食物をめぐる競争は激化していた。ホモ属は、新たな採食上の位置(ニッチ)を開拓することが必要になった。こういう事情で、まず、屍肉あさり(scavenging)における協力が始まったのではないかとトマセロは推測します。ホモ属の個体は、ライオンやハイエナが仕留めた獲物を奪うために、相互に協力し同盟して、狩りに成功した動物たちを追い払う必要があっただろう。(トマセロ2020, 69;トマセロ2021, 60;Tomasello 2019, 15)*
注*:トマセロ、マイケル(2020)『道徳の自然誌』中尾央訳、勁草書房.
トマセロ、マイケル(2021)『思考の自然誌』橋彌和秀訳、勁草書房.
Tomasello, Michael. (2019).  Becoming Human: A Theory of Ontogeny.  Harvard University Press. 

3.214. 次いで、ある時点で、ホモ属は大型の獲物を狩猟することに積極的に乗り出すようになる。トマセロによれば、40万年ほど前に登場したホモ・ハイデルベルゲンシスのころに、初期人類は共同での食料採集をするようになった。これらの初期人類は、ゲーム理論のいうシカ狩り状況(the stag hunt situation)に直面する。この状況にうまく対処するために、初期人類は、基本的なコミュニケーションと相棒選びの能力、つまりかなり洗練された協力の能力を発達させなければならなかったと考えられる。(トマセロ2020, 69;トマセロ2021, 60;Tomasello 2019, 175)

3.215. シカ狩り状況とは、二人の人物AとBの間に生じる次のような状況を言います。(トマセロ2020, 69;トマセロ2021, 61ff.;Tomasello 2019, 175ff.)

(ア)事実状況: Aはウサギ狩りに出かけ、途中でシカを見つける。シカはウサギより大きくて望ましい獲物だが、一人では捕まえられない。他方、Bも、同じようにウサギ狩りの途中でシカを見つける。AもBも、ウサギ狩りは中止し、協力してシカ狩りを行なって獲物を分け合えば、望み得る最大の利益が得られる。だが、AもBも、自分がウサギ狩りを中止したのに相手の協力が得られなかった場合、シカが手に入らないだけでなく、ウサギも手に入らない最悪の結果になる。

(イ)認知状況: Aは、そばにいるはずのBがたまたま視界に入っていない(コミュニケーションがとれない)。それゆえ、Bがシカを見たかどうかAにはわからないし、またAがシカを見たことをBが知っているかどうかもAにはわからない。BもAに関して、まったく同じ状況にある。すなわち、Bは、Aがシカを見たかどうか、Bがシカを見たことをAが知っているかどうか、わからない。

(ウ)結果: AもBも、相手が協力するという条件の下でシカ狩りをすることを望んでいるので、二人とも行動できなくなる。

3.216. この状況を打開する戦略は、複数あります。チンパンジーは、実験室で、干しブドウ(ウサギ)とバナナの房(シカ)で構成されたシカ狩り状況の下に置かれると、一方の個体がとにかくバナナの房に向かい、他方の個体がそれに追随して、結果として両個体ともバナナを手に入れる、という結果になる。これは「先導者-追随者戦略」(the leader-follower strategy)と呼ばれます(Tomasello 2019, 175)。上述の初期ホモ属の屍肉あさりにおける協力は、この先導者-追随者戦略で達成できる。また、チンパンジーの集団による狩り(3.24、3.60注*)も、この先導者-追随者戦略で成立します。

3.217. 少し実験条件を変えて、被験者の2個体のあいだに隔壁を設け、伸び上がらないとお互いが見えないように設定する。この状況でも、チンパンジーは先導者-追随者戦略を取ります。だが、うまく行かない(片方が追随せずバナナも干しブドウもとりそこなう)ことが多くなる。ただし、チンパンジーは伸び上がって隔壁越しに相手の行動を見ようとしたり、鳴き声を挙げたりしませんでした。(Tomasello 2019, 175)

3.218. 4歳児を対象に同様の実験を行なうと、隔壁がないときは、チンパンジーと同じく先導者-追随者戦略をとった。だが、隔壁が設定されると、4歳児は、伸び上がって隔壁越しに相手とコミュニケーションをとった。

「このコミュニケーションによって、4歳児は隔壁がないときと同じ水準の成功を得た。」(Tomasello 2019, 175)

3.219. シカ狩り状況を、先導者-追随者戦略よりも効果的に解決するためには、コミュニケーションが欠かせないのです。コミュニケーションによって、当事者の両方が、少なくとも以下の認知を得る必要がある。(Tomasello 2019, 176, 204-211)

  ① 相手がシカを見たことをこちらが知る。
  ② こちらがシカを見たのを相手が知っていることをこちらが知る。
  ③ 相手がシカ狩りをする意図をもっていることをこちらが知る。
  ④ 相手が裏切らないことをこちらが知る。

この4つの認知が整うと、シカを見た相手に対して(①)、お互いがシカを見たという相互認識の下で(②)、こちらも相手もシカ狩りをする意図を持っていることを確かめて(③)、互いの意図をいわば結合・接続し(X)、その接続された共同の意図(joint intention)を実行するようにお互いに一貫して努力する(④)、という共同行為が可能になる。つまり、共同でシカを狩ることができるようになる。

3.220. Xで印しを付けた〝互いの意図を結合・接続する〟という部分が、①~④の認知にもとづく新たな能力の発現であり、人類の協力の核心をなします。ヒトは、自分と相手を結合して〝我々〟を形成し、〝我々〟の意図(共同意図)を実現するべく、それぞれの個体が求められる役割に沿って行動することができるのです。〝我々〟という共同の意図と〝私〟や〝あなた〟という個の意図の二層の意図の構造が成立することこそ、人類の共同性の特徴としてトマセロが強調することです。(トマセロ2020, 80-85;トマセロ2021, 81;Tomasello 2019, 195-204)

3.221. 狩りの技量が未熟だったり、無断で勝手に共同の計画から離脱したりするような人物をシカ狩りの相棒に選んでしまうと、自分が飢えることになる。また、自分が相手から技量未熟で当てにならない人物だと思われてしまうと、利益の大きい共同の狩りに入れてもらえなくなって、やはり飢えることになる。共同で狩りをするときは、相棒の選び方に十分気をつけないといけない。自分の方も、相手から低く評価されないように、十分気をつけて振る舞わないといけない。(トマセロ2020, 91ff.;トマセロ2021, 61;Tomasello 2019, 275-277)

3.222. トマセロのいうようにホモ・ハイデルベルゲンシスが大型動物を共同で狩っていたとすると、その共同行為が成立する条件として、認知や道徳にかかわるさまざまな能力が必要になることが浮かび上がってきました。少なくとも、相互の意図を確かめるコミュニケーションの能力、相手の意図と自分の意図を接続して共同の意図を組み立てる能力、共同意図から勝手に離脱しない態度(コミットメント)、共同意図の実現に向けて本気で行動する態度(インテグリティ)、これらが必要になります。協力のためのこれらの能力は、共同の食料採取に成功したものだけが生き残るという仕方で、戦争とはかかわりなく、初期人類の集団に受け継がれるようになったわけです。

3.223. 注意しないといけないのは、第一に、衆目の一致するところ、ホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・ネアンデルターレンシスなど初期人類の段階では、言語はまだ成立していなかったと想定されること(その5:3.84注*)。第二に、トマセロの考えでは、以上に述べた初期人類の段階での協力の形成は、私とあなたの一対一の関係の水準にとどまっているということ。この2つです。

3.224. 言語はまだ出現していなくても、指差しという人類特有の指示表現と、身振りによる事実描写(パントマイム)は言語の前段階としてあったと考えてよい。この点は、乳児の発達過程から推定されます。指差しによる指示と身振りによる描写は言語習得に先立って現れる。大人になってからでも、海外に出かけてその土地の言葉がまったくできないときなどは、指差しと身振り手振りと視線の交わり(アイコンタクト)で、なんとか意思疎通をはかるというのは普通に見られることです。現生人類にも、言語以前の意思疎通能力は備わっている。(トマセロ2021, 113-116;Tomasello 2019, 106-112)

3.225. また、指差しや身振りで意思疎通を図る場合、多数の個体が同時に意思の一致にいたるのは難しそうです。特に、その場に立ち会っていない個体はコミュニケーション上の考慮の外に置かれるでしょう。言葉の使用はその場にいない個体にも通じることが前提であり、言葉を発するとき、私たちは、自分が適正に言葉を使っているかどうか、暗黙のうちに気遣っています。この意味で、言語によるコミュニケーションは、社会全体をつねに考慮に入れつつ実行されています。

3.226. トマセロの考えでは、ホモ・ハイデルベルゲンシスその他の初期人類の段階での協力は、まだ社会全体の慣習や規則に立脚した協力が行なわれるという水準には到っていない。現生人類ホモ・サピエンスの登場する段階で、社会全体に立脚した共同行為が発現する。図式的にいえば、初期人類は、目の前にいる相手とその時その場で共同意図を形成し、協力して狩猟や採集の協同作業に従事するという仕方で日々暮らしていた。これに対し、現生人類は、より大きな集団を形成し、その集団内の見知らぬ他者とも共同意図を形成できるようになり、広い範囲でさまざまな協同作業に従事するようになった。このホモ・サピエンスの生活形式は、規模を拡大しながら現代まで続いています。

3.227. 変化をもたらした要因は、トマセロによれば、二つある。一つは、他の集団との競合です。協力の進化のこの段階で、トマセロは、要因の一つとして、初めて集団間の競合を取り上げる。初期人類たちは、ゆるいつながりをもった小集団で暮らし、小規模の協同作業を必要に応じてそのつど行なっていた。だが現生人類では、集団の成員が恒常的に依存しあうようになり、集団の成員は助け合うように動機づけられる。この動機づけは、自分たちの集団と他の集団との競合から発生した。「集団の各成員は、採食、闘争の双方において協同作業の相棒として自集団の他の成員たちを必要とする」(トマセロ2021, 141)ようになったのです。

「「我々」は一緒に「かれら」と競合し、「かれら」から「我々」自身を守らなくてはならない。こうしてひとりひとりが、みずからをひとつの特定の社会集団の成員だと理解するようになり、そこに特定の集団的な同一性――ひとつの文化――がともなうことになった。この同一性は、集団全体にかかわる〝我々という志向性〟(we-intentionality)にもとづいていた。」(トマセロ2021, 142)

かくして、そのつど形成される一対一関係の〝我々〟に加えて、そこに立ち会っていない人々を含む集団としての〝我々〟の意識が生れた。

3.228 もう一つの要因は、集団が大きくなったことだった。個体数が増えるにつれて、小集団に別れて暮らす人々が単一の大集団に包含されるという社会構造、いわゆる部族組織(so-called tribal organization)が形成される。部族組織では、多数の小集団がひとつの上位集団、ひとつの〝文化〟に属す形になる。この場合、見知らぬ人間が自分と同じ文化に属すのかどうかを知ることが、誰にとっても重要になる。同様に、自分が、他人から文化的な帰属を正しく判定してもらうことも重要になる。というのも、〝我々〟のやり方で語り、〝我々〟のやり方で食事を用意し、〝我々〟のやり方で狩猟する人々は、我々の一員であり、信頼に値する。こう思ってもらうことで、見知らぬ人とでも、同じ上位集団、同じ文化に属すかぎりにおいて、同じ一つの目的を共有して協同作業に従事することが可能になるからです。(トマセロ2021, 142)

3.229. 以上の人口統計学的な二つの要因によって、現生人類は、初期人類よりもずっと大きくて複雑な共同性を生きるようになる。指差しと身振りというコミュニケーション手段に加えて、言語という慣習的・規範的なコミュニケーション体系が出現する。言語を用いて〝客観的〟な世界とその中での〝客観的〟に効果的な行動が語られるようになる。ここから、ものごとの〝客観的〟に正しいやり方が姿を現す。すると、そういう〝客観的〟に正しい規範に即して自分が何ものであるかを各人が了解できるようになり、自分のアイデンティティを守って行動するようになる。(引用符付きで「〝客観的〟」と記すのは、「その集団の中では構成員がこぞって客観的だと信じている」という意味です。)

3.230. さらに、ある文化集団の一人前のまっとうな人物が定義され、まっとうな振る舞いが定義され、そういう集団は、自己統御する成員によって統御されるようになる。こうして成立する多数の文化集団は、戦争を含むさまざまな交渉のなかで、拡大したり、融合したり、消滅したりするだろう。それは現在も進行中です。

3.231. 以上で、一応、協力の進化を「気候変動と食料不足が、まずもって食料獲得そのものにおける協力を促した」(3.210)という仕方で描写することができたと思います。また、「(ア)人類は、協力することを通じて、戦争が可能となるように進化した、というのは事実だろう。だが、(イ)人類は、戦争することを通じて、協力が必然となるように進化した、というのは事実ではないだろう」(3.201)ということもほぼ示すことができたと思います。

3.232. 進化生物学の検討にけりをつける後始末の作業は、まだ残っています。3.205の第二と第三の異論の類型を次回取り上げます。簡単に済むといいんだけれど。どうなりますやら。

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