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4.暴力をめぐる点景、2000年代の日本(西洋近代と日本語人 その14)
Ⅱ 松本人志『大日本人』(つづき)
Ⅱ-4.前回の論点と、この先の論点
4.58. 前回(その13)、映画『大日本人』(2006)について、こう記しました。
「この映画は、日本を守るヒーローが存在する世界を描いている。ヒーローといっても人気は落ち目である。この世界は真剣な意見の表出が決してまともに取り合ってもらえない世界である。正義といのちについて、素朴だが真っ当な意見が開陳されても、誰にも
4. 暴力をめぐる点景、2000年代の日本(西洋近代と日本語人 その13)
Ⅰ はじめに
4.1. 自分の生きている時代と社会の本質的特徴を把握するのは簡単ではない。少なくとも、内部にいる自分の体験と、外部にいる他者の視点の、両方を踏まえなければならない。私がこれまでとってきたのは、日本語人としての自分の体験と、西洋近代哲学からの視線を交錯させるやり方でした(田村均『自己犠牲とは何か』「あとがき」名古屋大学出版会 2018)。
4.2. 暴力をめぐる現代の日本社会
西洋近代と日本語人 その12
3.暴力について ――人類学風の考察―― (続き)
暴力とヒトの社会性(続き)
3.312. 現実の戦争は続いている。いまこの時、戦争についてあれこれ論ずるのは、身のほど知らずという感じがする。とはいえ、いま戦争について考えるのを止めてしまうのもおかしい。目を閉ざしても戦争はある。だから議論を続けることにします。
3.313. ここしばらく、〝人類は戦争することを通じて協力が必然となるように
勇敢な人々に涙することについて ――ウクライナと私たち―― (西洋近代と日本語人 番外編1)
Ⅰ はじめに
1. ロシアのウクライナ侵略戦争が始まった。ウクライナの多くの一般市民がそれぞれの持ち場で命懸けで戦っている。このニュース動画https://www.youtube.com/watch?v=3uYiXeOOJ5k の1分10秒あたり、家族とともにポーランドへ避難する幼い少年が、涙をこらえながら、父さんはキーウ(キエフ)に残って軍に物資を売るんだ、父さんも戦うのかもしれない、と語って
西洋近代と日本語人(仮題) その11
3.暴力について ――人類学風の考察―― (続き)
暴力とヒトの社会性(続き)
3.268. 人類進化における暴力と戦争の役割について、あれこれ調べ、考え考え書いていたら、ウクライナでほんものの戦争が起きた。これまで、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、あるいは、ユーゴスラヴィアの紛争、アフガニスタンの紛争、といった大きな軍事行動の報道に接してきた。今回のロシアのウクライナ侵略は、それらとは
西洋近代と日本語人(仮題) その10
3.暴力について ――人類学風の考察―― (続き)
暴力とヒトの社会性(続き)
3.233. ボウルズ&ギンタス(2017)*は、〝人類は、戦争することを通じて、協力が必然となるように進化した〟という主張を展開しています。これに対する異論として、前回の「その9」では、協力の進化をうながした要因の有力な候補として、更新世の激しい気候変動を挙げました。気候変動が食料不足をもたらし、食料獲得において
西洋近代と日本語人(仮題) その9
3. 暴力について ――人類学風の考察―― (続き)
暴力とヒトの社会性(続き)
3.197. 進化生物学の素人談義からなかなか脱け出せなくなっている。人類における協力の進化と戦争の始まりという主題をちょっと考え始めたら、議論が終わらなくなってしまった。
3.198. もとはといえば、日本語人は西洋文明の生み出した〝近代modernity〟という時代をうまく生きることができないでいる、と確認
西洋近代と日本語人(仮題) その8
3. 暴力について ――人類学風の考察―― (続き)
暴力とヒトの社会性(続き)
3.148. さて、ボウルズ&ギンタス(2017)* の複数レベル淘汰の素描を続けます。今回は…………と書き始めて、あれこれ考えているうちに、暗礁に乗り上げた。困った。私は、ボウルズとギンタスの議論の根底にある直観を受け入れていないらしい。それにあらためて気づいてしまった。かれらの議論は、統計学やゲーム理論の
西洋近代と日本語人(仮題) その7
3. 暴力について ――人類学風の考察―― (続き)
暴力とヒトの社会性(続き)
3.117. 以下では、ボウルズ&ギンタス『協力する種』(2017)の複数レベル淘汰がどのような考え方なのか素描します。取り上げるのは、同書第4章の「4.1 包括適応度と人間の協力」と「4.2複数レベル淘汰をモデル化する」の2節。協力の進化の基本的な考え方とその数学的な定式化の原理を述べる部分です。私は進化生物