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子供を産む人、産まない人、産めない人②

「望んでも授からない人」
になってしまった私は、授からない身体にした自分自身を許せずに過ごしていました。

どこへ行くにも、お腹の大きな女性や小さな子どもを連れたお母さんの姿がやたら目に入り、日に何度も、世の中で子どもを産めないのは自分だけのような孤独感に襲われました。

私一人が子どもを産めなくなっても、誰にも影響を与えない毎日やこれからの未来に、生きる意味さえも見出だせなくなっていました。

そんな中、クリニックで私が初めて担当した患者さんがA子さんでした。

A子さんは3ヶ月前に他院で中絶手術をした後に身体の不調を訴え、中絶した経緯を伏せたま私が勤めるクリニックに受診先を変えて通院されていました。

 術後の回復も良く、身体的には問題は見当たらないため、不調は心因性のものではないか?という院長の指示で、私がカウンセリングを担当することになりました。

しかし、人工妊娠中絶をした人に対して
「授かった命を自分の都合で絶った人」
という偏見を拭えない私は、Aさんとの信頼関係をなかなか築くことができずにいました。

A子さんの訴えは、不眠、頭痛、吐き気や食欲不振など、受診の度に内容が変わりました。
常に情緒は不安定で、時折感情失禁もみられ、顔色は青白く、力のない声は聞き取れないことも多く、目はいつも虚でした。

妊娠を途中で絶つ、ということはホルモンのバランスを人工的に変えるということです。
なので、自律神経が乱れて様々な不調が現れることは多々あります。
中絶をしたら妊娠前の身体に戻る、というような単純なことでは決してありません。
中には、うつ病を発するケースもあり、A子さんにはその要素を感じていました。

新しい命の未来を奪った代償として、中絶をした人は身体の傷や心の痛みを受け入れるのは当たり前のこと。
中絶をさせた人はそれ以上の償いをするのが当然、と私はそう思っていました。

そして、A子さんのそれらの症状も、私は当然の報いだと思って接していました。

その思いが、A子さんとの関わりの中で私の言動や雰囲気に現れていたのだと思います。
ただカウンセリングを重ねただけでは、A子さんとの距離はなかなか縮めらず、その寄り添えない原因も、日常の上手くいかない事のすべては、私が授かれないせいだと思っていました。

A子さんが、身体の不調以外に自分のことや、中絶に至った経緯を話してくれるようになったのは、カウンセリングと同時に、硬く強ばった身体のケアを始めた頃からでした。

手の平の温もりや柔らかさは、緊張した身体や人の心を緩めてくれます。
私自身、同時に勤めていた精神科病院の患者さんとは、言葉を用いたコミュニケーションよりも手の平を通したやり取りの方が意思の疎通が上手くいくことがあると感じていたので
「身体に触れて、心の病を治す」
という精神科病院で積んできた経験に、ここぞとばかり縋りつきました。
また、聞き出す技術よりも、話せる安心感をと、A子さんとのセッションの前には必ず深呼吸をして、私の心の準備をするようにしました。

A子さんの身体に触れること、私に身体を委ねて貰うことを幾度も重ね、お互いの緊張感や警戒心が少しずつ解けてきたかなと感じ始めた頃、

「羊水の中でしか生きられない子だったんです」         

前触れもなく、唐突にA子さんは語り始めました。
A子さんが中絶を選択したのは、望まない妊娠だった訳ではなく、むしろ念願だった第一子の妊娠でした。

日本においては、母体保護法という母体の生命と健康を保護するための法律があります。
人工中絶をするには手術が可能な期間に限りがあり、それを超えると中絶はできなくなります。
また、手術を行う時期によって手術の方法も母体への負担も、費用も異なってきます。

A子さんが中絶の手術をしたのは、その手術可能な期間ぎりぎりの21週目でした。
この時期の中絶は、子宮収縮剤で出産と同じように陣痛を起こして処置をします。
間違いなく、そこに命を感じながら手術をするのです。

A子さんが授かった赤ちゃんは、脳に病気がありました。

「お腹の中では生きられるけれど、産まれたら直ぐに死んでしまう。もしかしたら母体にも影響が出るかもしれない」

早い段階で中絶手術をするか?
亡くなるとわかっていても出産するか?

病院でその選択を迫られました。

お腹の中では元気に育っている赤ちゃん。
産まれるその日に向かって、精一杯生きようとしている赤ちゃんの命を一方的に断つという残酷さと、亡くなるその日まで共に過ごし、産まれたら死んでしまうとわかっている赤ちゃんの分娩に挑む残酷さ。

どちらも選べないまま月日が経ってしまいました。
中絶の選択肢がなくなる直前に、先生から言われた

「赤ちゃんは、産まれたら間もなく窒息死します」

という言葉で、その瞬間の赤ちゃんの顔を浮かべ、中絶を決断したそうです。

「もっと早く手術をしていたら、赤ちゃんは苦しまずに済んだのかな。やっぱり苦しかったかな」

「もっと生きたかったかな。最後まで生きさせてあげれなかった私を恨んでるかな」

A子さんのたくさんの問いかけは、どのタイミングで、どの選択を決断したとしても、後悔と悲しみが伴い、自分自身を深く責めるものばかりでした。

私が抱いていた
「中絶をした人は、授かった命を自分の都合で絶った人」
「中絶をした人は、新しい命を奪った代償を受け入れるべき」
という先入観や歪み固着した考え方は、A子さんとの出逢いで打ち崩されていきました。


子供を産む人、産まない人、産めない人-③
「少女の妊娠」に続く

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