見出し画像

#018 F1サーキットにて(13)ポルトガルGP

 リスボンの裏通りを歩くと、ぷーんといいにおいが漂ってきた。東京下町のタイ焼き屋さんとか大判焼き屋さんのような店構えの中に入ると、並んでいたのは白身魚のテンプラだった。

 ポルトガル文化は古くから日本に入ってきており、てんぷらもそのひとつだが、ポルトガルの食べ物はとても日本人の舌に合っているようだ。ポルトガルGP取材のために泊まったエストリルからカスカイスに向かう海岸沿いのレストランにも、さまざまな日本人好みの魚介類が並んでいた。その中でも、その場で焼いてくれるイワシの炭火焼きは絶品。皿にどーんと山積みされたイワシにレモンをたらして食べる。その新鮮さ。は日本の比ではない。

 ポルトガルGPの舞台エストリル・サーキットに通うには、コスタ・デ・ソル(太陽の海岸)と呼ばれる海岸地帯の中心地エストリルに泊まるか、あるいは、海から離れて内陸の避暑地、緑に囲まれたシントラを拠点とするか、二つの方法がある。

 われわれが1年目に選んだのは、エストリルだった。

 エストリルは、リスボンの海岸にあるカイス・ド・ソドレ駅から海を左手にして走ること約30分の位置にあり、エストリル・サーキットまではバスで30分で行ける。それならばということで、路線バスを利用して通うことにしていた。

 エストリル駅前からシントラ行きのバスに乗ると、バスは次第に高度を高めながらシントラがあるシントラ山系の山並みに向かって登り始める。30分あまり揺られていると、左手に鉄筋コンクリートがむき出しの巨大な建物がひとつだけぽつんと現れた。それが丘陵地の中腹を切り開いて造られたエストリル・サーキットだった。周囲には魚介類を焼く店や、Tシャツショップが建ち並び雑然としていた。

 プレスルームからスタンドの地下通路をくぐってインフィールド・ゾーンに入って周りを見渡すと、意外に狭いサーキットで、ほぼ全域が見渡せる。特に最終コーナーに造られたスタンドの最上部に立つと、ホームストレートも、第3コーナーも第6コーナーもしっかりと見渡せ、最高の観戦ポイントだと思った。

 サーキットを下見したあとは、シントラ経由でエストリルまで戻った。

 シントラはチーム関係者がホテルを押さえてしまうので、なかなか泊まれないと言われていた町で、駅前を歩くと、それらしいユニフォーム姿のエンジニアたちの姿が目立った。

 エストリル・サーキット周辺の荒れ地のイメージとは違い、緑に囲まれたしっとりとした町で、ポルトガルとは思えないような落ち着いた雰囲気に満ちている。イギリスの詩人バイロンが、「エデンの園」と呼んだのも分かる気がした。

 駅からしばらく歩くとムーア人の城跡があり、なおも山に登っていくと世界遺産にも指定されたペーナ城がある。ドイツの有名なお城、イノシュバンシュタイン城を建てたルードヴィッヒ2世のいとこが建てた城は、ドイツの古城を思わせる作りで、あっけらかんとした乾いたポルトガルの空気にはそぐわない気がした。あの時代のお城に共通したどこか狂気じみた雰囲気を感じるデザインで、個人的には好きになれない城だった。しかし、テラスに出ると、そこからは大西洋まで続く平原の大パノラマを見渡すことができる。ポルトガルにも緑がこんなにもあるのかと驚かされる風景が広がっていた。

 夕暮れ近く、うねうねと小さな村々を迂回する路線バスに揺られていくとロカ岬への分岐点に出た。せっかくここまでだからと思い、歩いて「ユーラシア大陸最西端の地」と書かれた記念碑の前まで行ってみることにした。「最西端到達証明書」という怪しい証明書も出してくれるというので、それもせっかくだからともらってきた(幾らかのお金を取られたと思うけれど)。

 ビーチでの海水浴とおいしい魚介類、そしてポルトガルでいちばん大きなカジノがある町エストリル。現在は開催されなくなってしまったF1が、この地に復活してほしいと願うのは、私だけではないだろう。