【おすすめ書籍③】有機化学の理論

有機化学の理論(第4版補訂)―学生の質問に答えるノート


 
今は第5版が出ている。この本を読んだのは確か大学院生に入ってからだが、本当に助けられた。なかなか良さを具体的に説明するのが難しいのだが、特定の内容というよりも、有機化学における頭の使い方について、大きな気付きがあった本である。
 有機化学を学び始めた人が最も多くつまづく箇所の一つは、電子論→軌道論に移行する際なんじゃないかと思う。少なくとも自分はそう。軌道論自体は学部の授業で出てくる内容で、別にエチレンのHOMOやLUMOを覚えるだとか、Diels-Alder反応の反応機構を描くだとか、そういうことは難なくできるが、どうも理解できた気がしないのである。当時のモヤモヤ感はうまく説明できないが、その理論に行きつく必然性がよくわからない、といった感じだっただろうか。量子化学・量子力学の勉強をしても、このモヤモヤが晴れる方向に進んでいる気もしなかった。

 結論を述べると、結局のところ、当時、「有機化学の理論」を読むまで、私には以下の観点が完全に欠落していた。

化学理論というのは、所詮は自然現象や実験事実を上手く説明するために人間が構築したものに過ぎない

当たり前すぎて、バカなんじゃないかと思われたと思う。実際、恥ずかしい限りである。しかしながら実際の所、当時の私は、確立された化学理論を、自然の真理であるかのようにとらえ、そして(教科書に載っているレベルの)大抵の事象は、その理論から論理的に導出できるはず、という意識があった。そうではないのだ、混成軌道だとか、HOMOやLUMOという考え方自体が、既存理論で説明できない現象を説明するために新たに構築された理論(体系)なのである。本当にたったこれだけのことなのだが、この意識改革により、有機化学学習の停滞は一気に解消された。
 本書は、副題のとおり、学生の質問に対して回答するという体裁をとりながら、既存理論や計算で詳細な回答を試みつつ、一方でこれらの限界や妥協点も認めている。例えば1.1.6"どうしたら混成オービタルを作ることができるのか"に対する"概念であって現象でない"という回答と、以降の解説は秀逸である。一冊を通じて、上記の意識改革を目的とした書籍ではないのだが、読んでいくうちに自然と意識が変わっていく。学生時代にこの本に巡り合って、本当に良かったと思っている。

 本書は、内容の素晴らしさもさることながら、他に似た書籍が見当たらない点でも特徴的といえる。数学だと、大学数学の質問箱という本が近いコンセプトかと思う。化学系の雑誌の1コーナーでこういうコンセプトの連載があってもよさそうだが、どうなんだろうか(読む習慣がないためよく知らない)。


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