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初めて体験した民事裁判・・・

 ここ数年はいろんな事が起こった。2016年には熊本地震、2020年から2023年はコロナ禍。その間、熊本県内は水害も凄まじかった。その中で、今年は生まれて初めて民事裁判を体験したのである。

 無事結審したが、具体的には書けないけれども、簡易裁判所から送付されてきた訴状を読むと、「捏造された虚偽に基づく訴状」が届いたのである。仰々しくも弁護士3名の氏名が記されていた。

 客観的に見れば、原告側の個人的感情と傲慢さが窺い知れる、実に強引で立件するのに証拠がない無意味な訴状である。原告の訴状の争点は、「〇〇不存在の確認」と「訴訟費用を支払え」の2点。

 確たる証拠もなく、これまで交わした互いの書簡を数枚添付してあるだけで、虚偽に基づく訴状であるために、争点がおかしなことになっている。誰が唆したのか知らないが、プロの弁護士であれば、初手から着手しないものである。

 そこで、訴状別紙の原因、経緯などを読むと、意図的に捏造されたストーリーとなっており、苦笑してしまうほどである。隠蔽体質と責任転嫁が常態化している企業のようで、結局、筆者に難癖を付けたようなものである。

 しかし、訴状が届いたのであれば、初めての体験と雖も、堂々と立ち向かう必要がある。これまで入手してきた物的証拠は潤沢にある。それを如何に分かりやすくまとめて答弁書に書き、裁判官と書記官の方々へ真実を伝えなければならない。

 ここで問題となるのは、捏造された虚偽情報を、虚偽であると証明するのに、思いの外、エネルギーを費やすことになる。証拠が相当あるので、全てを添付する訳には行かず、消去法にて、必要不可欠なものだけを抜粋し、真実を時系列に書き綴ったのである。

 さて、裁判当日となった。裁判所から訴状が届いて約一ヶ月後のことだが、これまで原告側の虚偽を虚偽として証明するために、答弁書はかなり分厚くなった。原告側は数枚の証拠書類、筆者は六十枚ほどになった。

 友人から、「何故、被告人に仕立てられたのに、顧問弁護士へ依頼しないのか?」と、心配する電話が掛かっていた。筆者は、「こちらに何の非もないのだから、堂々と真実のみを語るだけなので、後は、中立公正なる裁判官が判決を下してくれるはずだ。」と言って、民事裁判当日を迎えたのだった。

 午後二時に法廷へとあったので、1時間ほど前に裁判所へ行き、裁判に関するビデオを三十分ほど見ることにした。所内はすごく美しく掃除が行き届いており、空気が爽やかだった。ビデオを見ながら、原告側の強引な裁判なので、頭の中では、シミュレーション通りの結末は見えていた。

 法廷に入る前にベンチに腰掛けていると、裁判所の事務官や書記官の方々が前を通る度に、会釈をされるのである。本来ならば被告人は暗いイメージがあり、筆者も暗いイメージなのかと思いきや、礼節を弁える職員の方々の様子が凛としており素晴らしかった。

 法廷に入る時も、書記官の方が座る位置と荷物を置く位置を丁寧に指示をされて、そこに腰掛けた。書類をテーブルに置き、裁判官と書記官へ会釈をして腰掛けた。雰囲気としては、キリキリとした感じとは真逆で、とても穏やかである。

 対する原告側の弁護士が座った。三名の弁護士が対応するかと思いきや、やや年配の弁護士が一人テーブルについた。落ち着きなく、書類を何度もめくっている。筆者は、自分で書き上げた答申書を全て頭に入れていたので、真正面を向いて裁判の進行を客観的に見ていた。

 裁判官が被告、原告の確認を行い、いよいよ裁判が開始される。

 正直なところ、緊張もせず、周りの様子がよく見えており、弁護士の挙動に違和感を持つ程度である。多分、有能な弁護士であろうから、今回の訴状には無理があり、原告には不利な展開になると事前に予測していたに違いない。

 原告の訴状と別紙の確認、そして被告の答弁書と別紙の確認があり、裁判官が口を開いた。「本件、和解を勧告します。被告は事前に過去はどうでも良いと言ってますが、原告はどうですか?」と。

 筆者の読み通りである。元々、難癖のような訴状であったので、判決が下るはずがない。判決が下らぬということは、訴状の争点も審理の対象にならないことになる。有能な裁判官、書記官であるので、虚偽に基づく訴状であることは見抜いていたに違いない。

 何故なら、大局的に見解を述べる裁判官の顔が、筆者の方を向いた時に、心が笑っているように見えたのである。実に穏やかであり、被告に対して「答弁書を読み、あなたは十分理解していることを承知している。」という言葉が飛んでくるようなイメージであった。(原告と被告が逆転状態)

 よって、原告の訴状による争点は審理されず、和解として結審。しかし、原告側弁護士が「あのお、判決をお願いします。」と発言したのである。

 そこで裁判官が一言。「先ほど和解で了承したのではありませんか?」と原告側弁護士へ詰め寄ったところ、慌てて、その弁護士は会社へ確認を取ったのかどうか知らないが、俯き加減に和解を承諾した。

 筆者は民事裁判が初めて(学生時代に刑事裁判を傍聴したことはある)なので、その様子がとても新鮮であり、倫理の空気漂う法廷のイメージをしっかりと焼き付けておこうと思い、ありとあらゆる所を見ては、頭にインプットして行った。

 自分の背中を見ながら、「あなたは、被告人らしくないよね!」と言いたくなるほど、落ち着きまくっていた自分がいた。

 しかし、今回の民事裁判はとても貴重な経験として、学ぶ事が多々あった。答弁書を見ては、「短期間によくもまあ書いたね!」と自分を褒めたり、「完璧なシミュレーション通りになり良かったね。お疲れ様!」と自分自身に言い聞かせたのである。

 最後に、今回の民事裁判を体験して浮かんだ言葉ある。以下の通り。

 「真実を凌駕する虚偽なし」という言葉である。それがネット上で使われているかどうかをGoogleで調べてみたところ、最上位に抽出されたものは、筆者が先月書いた記事のURLであった。それを見て、吹き出してしまった。

 ということは、新造語として自分が作ったのだという喜びもあるが、不要な裁判に巻き込まれたのは、愉快なものではない。可能であれば、この体験は最初で最後にしたいと、心に決めたのである。

このエッセイは、著者が初めて経験した民事裁判についてのリアルで興味深い描写を含んでいます。以下に、エッセイ全体の評価ポイントを挙げてみましょう。

  1. ストーリーテリングと興味を引く要素:

    • 著者はエッセイを通して、熊本地震やコロナ禍など、激動の年を振り返り、それに続く民事裁判の経験を細かく描写しています。これにより、読者は著者の状況や感情に共感しやすくなっています。

  2. 法廷の描写と状況の詳細:

    • 著者は法廷内の雰囲気や登場人物の挙動、自身の感情などを詳細に描写しており、これが読者にリアルな体験を伝えています。特に法廷内でのやり取りや裁判官の態度に焦点を当て、読者に臨場感を提供しています。

  3. 問題の提示と解決:

    • 著者は捏造された訴状に対する自身の対応や裁判の進行を具体的に描写し、最終的には和解に至った状況を読者に伝えています。これにより、物語には問題提起から解決までの展開が明確になっています。

  4. 個人的な成長や学び:

    • 著者は裁判を通して得た経験や学びに焦点を当て、自身の成長や感情の変化を読者に伝えています。この要素は、エッセイに深みを与えています。

  5. 言葉遣いと表現:

    • 著者は具体的で生き生きとした言葉を使っており、読み手にイメージを鮮やかに伝えています。また、法的用語や裁判所の雰囲気を理解しやすく説明しています。

全体的に、このエッセイは興味深く、リアルな法廷体験を生き生きと描写しています。また、最後に著者の得た学びや感情がしっかりとまとめられており、読者にとって共感を呼ぶ内容となっています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。