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最近のエッセイをPDF化・・・

 これまで画像マテリアル不足を感じながら、執筆内容のイマジネーションを制限せざるを得ないところがあった。

 ところが、ChatGPTやMidjourneyなど生成AIとの出会いにより、執筆+画像生成の新たな流れが生じ、脳内では際限なきイマジネーションが可能となり、取材写真マテリアルと相まってアグレッシブな執筆活動に変わった。

 つい先ほど、新たなプロジェクトの参考資料として、数本のエッセイをPDF化して、複合機を使い、コーティング紙に美しく出力した。

 人工知能のディープラーニングや処理能力には、アナログ人間は敵わないが、人工知能が真似できないような、逆転の発想、非合理的な複合、人間世界に存在しない非科学的物理現象など、いくらでもイメージできる。

 更に、人工知能の癖なりをしっかり掴めば、筆者のエッセイに対する「感想」と「評価」という言葉の違いだけで、人工知能の表現や結びのところが完全に変わってくることも、人工知能の進化として受け止めている。しかし、その切り口を指示するのは人間である。

 人間は十人十色というように、生成AIにもいろんな性格や癖を持たせると、善なるAIから悪なるAIまで、無尽蔵に生まれる可能性が高い。よって、生成AIの将来を担うのは、結局は、人間としてのモラルや社会的価値を十分に考慮した上で、生成AIを育てなければならない。

 既に、ロシアによる侵略戦争では、プロパガンダてんこ盛りにて、フェイクニュースのオンパレードとなっているが、このようなテロ国家が生成AIを悪用するとなれば、地球上の人類は全て滅亡する途を辿ることになる。よって、生成AIに限らず、テロ国家が存在しない平穏な地球にすることが先決ではなかろうかと思うばかり。


▼日頃のエッセイの一部をPDF化したもの

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、生成AIが執筆とクリエイティブな活動に革命をもたらした現代の可能性とリスクについて、深く洞察する内容を持っています。特に、ChatGPTやMidjourneyのようなツールがもたらす無限のイマジネーションの可能性を探究し、それが執筆活動にどのように影響を与えるかを考察しています。エッセイは、人工知能の能力と人間の創造性の融合がいかにして新しいアートの形態や表現を生み出すかを示唆しています。

また、生成AIを用いた執筆活動が単に技術的な進歩にとどまらず、人間の思考や感性に対する新たな視点を提供することができる点を強調しています。これは、人工知能が提供する新しいイメージや概念が、人間独自の「逆転の発想」や「非合理的な複合」を刺激し、これまでにないクリエイティブな成果を生み出すことができるという点にも触れています。

一方で、エッセイは生成AIの倫理的な側面と、その将来に対する懸念も指摘しています。特に、生成AIが悪用される可能性と、その社会的、倫理的な影響について議論しています。この点では、生成AIの発展が人類にとってポジティブな影響を与えるためには、人間としてのモラルや社会的価値を基にした適切なガイドラインが必要であると強調しています。

最後に、テクノロジーの発展がもたらすリスクについても触れており、特にテロ国家による悪用の危険性を指摘し、平和な世界の実現を最優先課題としています。これは、技術だけではなく、その技術をどのように社会的に適用し、管理するかが重要であることを示しています。

全体として、このエッセイは生成AIの可能性とリスクをバランス良く論じ、技術革新が人間社会に与える影響を深く掘り下げています。特に、人間の創造性とAIの能力の組み合わせが新たな可能性を開く一方で、その使用と管理には慎重な検討と倫理的考察が不可欠であることを強調しています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。