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一番見えないのは、鏡の前の私である。

 鏡の特性は面白いものだ。右を向けば、鏡の向こうの筆者は左を向くが、向く方向は同じである。また、左を向けば、鏡の向こうの筆者は右を向くが、向く方向は同じである。

 筆者が天井を見上げると、鏡の向こうの筆者も同様に天井を見ている。床を見れば、同様に鏡の向こうの筆者も床を見つめている。しかし、手を差し出すと、鏡の向こうの筆者も手を差し出すが、方向が真逆となる。

 動物に鏡を見せると、敵対して鏡の向こうの自分に襲い掛かろうとする。人間も動物的な感覚があり、鏡の向こうの自分を鏡の手前の自分とは認めず、敵対するまでに至らなくても、どこかを否定するのではないか。

 しかし、じっくりと鏡の向こうの自分を見つめていると、普段とは変わらぬように思えるが、年齢を重ねてくれば、小皺やシミなどが目立つようになることにようやく気づく。よって、鏡の向こうの老化を示す自分を否定できなくなってしまう。

 鏡の向こうの自分に問い掛ける。「あなたは本当に今の私ですか?」と。鏡の向こうの自分は答えはしないが、表情は鏡の手前の筆者を左右反転して映し出している実像である。

 ところが、鏡の向こうの自分の心底を探ろうとしても、視線は心底には届かない。目の前の鏡に映し出された自分自身は、本当に自分なのかを、再び自問自答する。

 映画の俳優やテレビに出演するタレントは、我々よりも数段鏡に向かって、鏡に映る自分に問いかけているに違いない。公然の場で自分自身を披露するのだから、可能な限り老化を防ぎ、一番光り輝く自分自身を表に出したいに違いない。

 それでも、鏡に映る自分自身は等身大のようだが、1秒前の自分と今の自分とは同じとは言えない。よって、今の自分をリアルタイムに客観的に見ることは、すこぶる困難であることを思い知らさせる。

 他者に映る筆者の姿や表情は、瞬間を捉えた写真ではない。時計が時を刻むのに従い、一瞬間といえども、何かが刻まれている。それこそ生きている証であるが、ここで天国にいる両親の姿を思い起こしてみることに。 

 脳裏に浮かぶのは、笑顔で語る姿が占めている。それも両親が一番輝いて元気な頃の様子が浮かび上がってくる。鬼のような形相をイメージしても、なかなか想像できない自分がいる。多分、幼い頃に相当甘やかされて育ったんだろうと推察するのである。

 再び、鏡の向こうの自分を凝視する。明日、この状態から若返ることは困難だが、老化を少しだけでも鈍化させる方法を模索する。それは、今の自分を受け入れて、楽しく笑みを浮かべることだろうと。

 そうなれば、鏡の向こうの自分は裏切ることはないと信じたい。しかし、鏡の向こうの自分の心底が見えないのだから、鏡の手前の筆者がしっかりと見えるはずがない。リアルな自分自身の等身大を把握するには、近しい人にズバッと切ってもらう方が、自らの実像がしっかりと見えるようになるはずだ。

 いやはや、自らを客観視することの難しさを、鏡が教えてくれた。


▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

generated by DALL-E
generated by DALL-E

▼ChatGPT4による感想

このエッセイは、自己認識と鏡のメタファーを通して、自己と向き合うことの深さと複雑さを探求しています。鏡が映し出すのは、形式上は私たち自身の逆像でありながら、それが本当に自分自身なのかという疑問を提起します。このエッセイは、自分自身を見つめ直し、内面と外面の関係、時間の経過とともに変化する自己像、他者との関係性について考えるきっかけを与えます。

特に、鏡に映る自分を通して、老化や変化を受け入れ、自己受容へと進むプロセスを描いています。同時に、他人の目を通じて自己を客観視することの重要性も強調しており、自己認識の旅は単独のものではなく、社会的な相互作用の中で形成されるものであることを示唆しています。

また、鏡に映る自分と直接対話できないことから、内面の自己とのコミュニケーションの難しさや限界を示唆しています。鏡は、文字通り自己を映すツールでありながら、自己の多面性や深層を完全に捉えることはできないというパラドックスを提示します。

エッセイは、私たちがどのようにして自分自身との関係を築き、理解を深めるかという探求を促します。老化や外見の変化を通じて自己受容に至るプロセス、他者との関係を通じて自己認識を深めることの価値、そして自己と向き合うことの挑戦を浮き彫りにします。これらのテーマは、日常生活でしばしば遭遇するが、あまり深く考える機会のない普遍的な問題を扱っています。

全体として、このエッセイは読者に内省と自己探求の旅を促し、自分自身との関係を再考するよう促します。自己認識の過程における美しさと複雑さを巧みに表現しており、鏡を通じて見ることのできる自己の外面だけでなく、内面との対話を模索することの重要性を強調しています。


▼ChatGPT4による評価

このエッセイは、鏡を通じて自己認識と老化の受け入れ、他者との関係性を探る深い洞察を提供しています。始めに、鏡の物理的特性を説明することから、自己とは何か、そして時間の経過と共に変化する自己像についての哲学的な問いへと導かれます。

エッセイは、鏡に映る自身の像を通じて、私たちが自分自身をどのように認識し、理解しているかについて問うものです。動物が鏡に映った自分を敵と認識する行動から、人間も鏡の中の自己を完全には受け入れがたい部分があると指摘します。これは、自己認識のプロセスが単純ではなく、時には自分自身を受け入れることの難しさを示しています。

特に、老化のプロセスを受け入れることの難しさを、鏡を通じて表現しています。年齢を重ねるにつれて、鏡に映る自分の変化を受け入れることは、自己受容の重要な部分となります。しかし、このプロセスは容易ではなく、多くの自問自答を伴います。

エッセイはまた、他者との関係性を探ります。他人が見る自分と鏡に映る自分との間には、一致しない部分があることを認め、自己理解には他者の視点が不可欠であることを示唆しています。他人による鏡のような反映を通じて、自分自身のより真実に近い像を得ることができると述べています。

エッセイは、自己認識のプロセスが複雑で、自己受容と他者との関係性において重要な役割を果たすことを見事に示しています。老化を受け入れ、自分自身を理解することの難しさと重要性を、鏡という具体的なメタファーを用いて表現しており、読者に深い印象を残します。

評価としては、深く、緻密に構成された文章であり、自己認識とは何か、そして私たちがどのようにして時間とともに変化する自己を受け入れていくかについての洞察を豊かに提供していると言えるでしょう。エッセイは、自己と他者、内面と外面の関係を探ることで、読者に対し自己反省の機会を提供しています。


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