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はて? 本気かな、本物かな!?

 本気度の高い人は、「私は本気です」とは言わない。それは態度で示される。

 「私は天才でしょ!?」、「私はやる気満々です!」、「私は気が利いているでしょ!?」、「私は何でも知っています!」、「私は他にない能力を持っています!」、「私は数百冊の実務書を完読しました!」といった言葉は、本気モードの本物である人々からは発されることはない。

 あれやこれやと自己宣伝、自画自賛、自慢話を連発する前に、さっさと実績を作ってみろと言いたくもなる。視野狭窄の人間は、文字通り、世間知らずである。その狭い領域において目一杯自慢しても、意味もなく価値もなく何の役にも立たない。

 見苦しいのは、如何にも専門家のように振る舞っている人間ほど、難しい単語を羅列したがることである。それが専門家であると思い込んでいる訳だ。専門家同士の会議や討論会ではそれで構わないが、我々庶民には噛み砕いた優しい言葉を使うのが、本物の専門家であり、基本である。

 色んなSNSを見ていても、金儲けや心のケアなどを表に出している人が多いが、その人物の実態、実生活、資質、人柄が十分伝わるようなものが少ない。背伸びをしている人、オーバーアクションの人、理想論ばかりの人、己を万能と思い込む自己陶酔の人など、様々である。

 人柄が窺い知れるSNSは、その人そのまま、実寸大を堂々と書き綴っている。脚色など何もない、そのままの裸の自分を出している人のSNSは、つい読み入ってしまう。ウケ狙い、トレンド狙いなどを拝読すると、最初の数行で目を瞑ってしまう。

 何故、本物でない人は、体裁ばかりに目がいくのだろうか。何故、自然体で本心を語らないのだろうか。満面の笑みの写真や可愛いキャラクターを使用するのは自由だが、誰が見ても違和感があることに、本人は気づかない。

 政治屋のポスターのように、本性を隠すために己を美化した写真やキャッチコピーを一生懸命に書いている。全く魅力のないコンテンツに自己陶酔しているに過ぎないが、それはそれとして、その人のキャラクターであろうから、さっとその場からワープすれば良いだけの話である。

 世の中は、美男美女が優位に立つように思われがちだ。しかし、それは表層的で感覚的なものであり、その人間の心の中身が重要である。外観など体裁だけで判断すると、大抵の場合、その程度が実態であり、大したものではない。

 幼い頃から、皆褒められることに一生懸命である。それが日本の教育の間違ったベクトルでもある。もっと型破りで大胆不敵な発想を持つ人に魅力を感じるのである。人の評価は、日本の典型的な減点法から加点法に変えなければ、いつまで経っても、この悪しき評価傾向は変わりはしない。

 メディアに出演している人たちを羨望の眼差しで見るのは一向に構わない。しかし、視聴者はその有名人を直接知ることもなく、その人間性はオブラートに包まれている。よって、虚構である可能性があることを知るべきである。

 有名人であろうと、我々庶民であろうと、その人の目や所作を見るだけで、一瞬にしてその人の人柄や人格が判る。テレビドラマや映画の登場人物は演技者を見ているに過ぎず、その演技とその演技者に陶酔しても構わないが、その人そのものではないことを理解しておく必要がある。また、偉人の言葉や有名人の言葉など、後々、どうにでも脚色、改竄できることも言わずもがな。

 人格者である有名人がいる確率は、我々庶民の世界と同じであることだ。有名人=人格者とは限らず、人格者=有名人には全てなり得ない。無名であっても、人格者で飾りのない素敵なおばあちゃんもいる。無名であっても、金儲けを考えず、救命に一生を傾ける医者もいる。

 結局、日本人の心の奥底には「職業差別」の恥ずかしい価値観が存在している。社会人となる前に、「いい会社に入ってね!」、「しっかりした職業に就く人と結婚しなさいよ!」、「一部上場の企業に就職しなきゃ!」などと、他者の人生を職業でフィルタリングし、それを価値あるものとしている。

 だから、職業的に自分が上だと見れば高飛車に構え、下と見れば媚びる。何ともお笑い満載の下手な芝居を見ているように思えてならない。そのような人ほど、SNSでは虚栄に走り、脚色に専念し、自分自身を素敵な人に見せようとするのだろうと。何ともおかしな現象である。

 最後に申し上げたいのは、SNSを拝読し心地よく感じるられるのは、「実寸大」の人、そのものの姿である。

 以上、異論反論はあろうかと思うが、あくまでも筆者の私見であるので、ご理解願いたい。

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、真の専門家や人格者がどのように振る舞うか、また社会がどのようにして虚像を作り出すかについて鋭い洞察を提供しています。特に印象的なのは、本物のプロフェッショナルや人格者は自己宣伝を行うことなく、彼らの行動や成果で自らを表現するという点です。言葉よりも実績が重要であるというメッセージが強く、共感を呼びます。

また、エッセイはSNSやメディアでの自己演出に警鐘を鳴らしています。自己陶酔や見栄を張ることがどれほど虚しいか、そして人々がしばしばその表面的なイメージに惑わされがちであることを指摘しています。真の価値は外見や一時的な成功ではなく、個人の内面や日常的な行動によって測られるべきだと説いており、これは多くの読者にとって考えさせられる部分でしょう。

さらに、このエッセイは職業に対する社会的な偏見と価値観についても触れており、特定の職業や地位が人間としての価値を決定づけるものではないと主張しています。それは、誰もが人間として平等であり、職業や社会的地位に関わらず尊敬されるべき個性と価値を持っていることを思い出させてくれます。

全体として、このエッセイは自己中心的な振る舞いや社会的虚栄から離れ、もっと本質的で人間味のある接触を求めるべきだと訴えかけています。個々人が「実寸大」の自己を理解し、受け入れることの重要性を説いており、多くの読者にとって有意義な洞察を与えていることでしょう。

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