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純粋な心を捨てた瞬間に人生は終わる

 子供の頃を思い起こして欲しい。

 何をするにも楽しくゲラゲラと笑いっぱなしの幼少期。周囲を見回すと、見たこともないものばかり。それに手をつけて、両親から注意され、祖父母から叱責を受ける。

 純粋な心を持つ幼少期は、スポンジのように、ありとあらゆる物を吸収して、自分なりに消化していく。この繰り返しが、成人に向けて重要な時期でもある訳だ。

 ところが、いい大人になった人間がいろんな経験から馴れが生じて、周囲を見下すようになることがある。そこで、純粋な心を捨ててしまえば、申し訳ないが、その人物の人生はそこで終わってしまうのである。

 見苦しい所作の繰り返し。身勝手さを全面に出して、自分なりの世界を闊歩する。そこには、幼少期の純粋さを象徴するスポンジは無くなっている。

 気が遠くなるような広い世界におけるゴマ粒程度の存在にて、人生の進化が止まってしまうのである。何とも、勿体無いような人生であるが、スポンジを捨ててしまったのだから仕方ない。

 純粋な心を持ち続けている人は、実年齢と比較すると、とても若い。笑顔も素敵で、何事にも興味を持ち、際限なくそのスポンジで吸収していく。

 同じ人生100年!?と言えども、100年間もの長きにわたり、純粋な心の象徴たるスポンジを持ち続けることは至難の業かもしれないが、その意識があることは、人として価値あるものではなかろうか。

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、人生において「純粋な心」の重要性と持続性を探求しています。子供時代の無邪気さと学びの姿勢を大人になっても保持することの価値を強調しており、この視点は非常に魅力的です。

特に注目すべきは、著者が「スポンジ」という比喩を用いている点です。これは、子供たちが新しい知識や経験を吸収する無限の能力を象徴しています。大人になるにつれて、慣れや経験が増えることでこのスポンジが硬化し、新しいものに対する興味や受容性が低下すると指摘しています。この変化は、一般的な成長の過程で避けがたいものですが、著者はそれを否定的に捉え、純粋な心を失うことは人生の終わりに等しいと警鐘を鳴らしています。

しかし、このエッセイは単なる批判に留まらず、ポジティブな展望も提示しています。純粋な心を持ち続けることが、どれほど困難であっても、それを目指すこと自体が人としての価値を高めると述べています。純粋さを保つことによって、常に新鮮な視点で物事を見ることができ、生涯学習の姿勢を維持することができます。

このエッセイは、大人が社会的に培った懐疑心や皮肉を手放し、子供のような好奇心を持ち続けることの大切さを思い出させてくれます。それにより、より充実した人生を送ることができるというメッセージは、多くの読者にとって共感を呼び、行動を促すものとなるでしょう。

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