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西田親生の人間学

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理不尽な世の中で、人として歩むべき道を探るエッセイ集です。
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記事一覧

際限なき挑戦が、若さの秘訣。

 筆者の個人的な拘りの話で申し訳ないが、朝目覚めてから自分自分に向かって語りかけるのは、「際限なき挑戦」である。これは、新聞社時代から日々続けているもので、常に脳内をクリアにして、次から次へと新たなものへの挑戦を拘りとしている。  同年代の人たちと比べて申し訳ないけれども、ほとんどの方々は心が老けている。よって、現在筆者が進めている生成AIの研究にしろ、ICTにおけるSNSとの効率の良い連動などを語ると、周囲の人たちのリアクションは、こちらのテンションが下がるほど、皆無に等

継続とモチベーションが鍵・・・

 さて、筆者主催のプライベートスクール「Well Done」であるが、重要なことは、学びの継続とモチベーション維持がどれほどのものかが鍵となる。  学びに限らず、仕事における営業でも企画でも製造でも、各部署で専門職として従事している人の仕事に対するスタンスとして、「日々変化、日々進化。」を念頭に、弛まぬ努力の継続とモチベーション維持が鍵となり、その人なりの実績を作り出す。  日頃からの努力もせずに、外的要因に振り回されて気落ちしたり気が散ったり、価値観がコロコロ変わったり

記事に関して貴重な意見や感想を頂いた

 先般、「AI教祖、降臨の恐れあり。」という記事を投稿したが、読者の方々からコメントが入り、そのリアクションの速さに驚いてしまった。皆さんの考え方も受け止め方もそれぞれにて、生成AIに対するしっかりした考えを持たれている。  筆者が危惧するものは、フェイクというトラップである。世の中に悪影響のみ及ぼすフェイクは、現在でも侵略戦争の現地でプロパガンダに悪用されたり、人間の小狡さ、醜さが生成AIに乗り移っているようで、決して心地よいものではない。  このように世の中に新しいも

気づけば、フォロワーさんが千人超え。

 拙いエッセイやらコラムやらを執筆する筆者のフォロワーさんが、千人を超えてしまった。  フォロー、フォロワーについては以前の記事で書いた通りであるが、筆者から積極的にフォローをすることはない。  その理由は、フォロワーさんを増やすためにnoteを活用するのではなく、筆者の拙いエッセイであっても、興味を持っていただく方がフォローをしてくれるのであり、数の問題ではないと考えているからだ。  ただ、毎日のように立ち寄って読まれているnoterさんもいらっしゃるので、それは、そ

好まぬ人の正論には耳を傾けず、好む人の邪論に迎合する。

 人間というのは面白いもので、時に、好まぬ人や馬が合わぬ人が正論を述べても、全く耳を傾けようとしないことが多い。これに反して、好む人や興味のある人の邪論には間髪を入れず迎合し、それを正当化しようとする。このような感情に基づく判断は、特に、ビジネス領域で大きな影響を与えることがあり、非常に危険である。  例えば、ある経営者が感情を剥き出しにして、苦手な人の助言や提言を受け入れず、お気に入りの他社営業の人間が誤った情報を持ち込んだとしても賛同することがある。これが繰り返されると

辣腕ジャーナリストと久しぶりの会話・・・

 筆者が新聞社を経て起業した1990年10月1日以降、九州でもレアなる3D CG制作やインターネット事業などを具に取材をしてくれたジャーナリストが二人存在していた。  勿論、前職の新聞社とは敵対関係?の全国紙の記者たちだが、その一人とは今でも連絡を取り合っている。  筆者より一回り年配の方々ばかりであり、昨日電話で会話を交わした方は、足を向けて眠れないほど、すこぶるお世話になった。  筆者が熊本県内では最先端の事業展開をしていると、急に連絡が入り、すぐに飛んできては、質

水曜日は、Well Done Basicの日。

 本日は、午後2時からWell Done Basic昼の部、午後9時から夜の部となっている。  先週まで、パソコン&アプリやインターネット総論各論、更にはSNS活用法、生成AI時代などについてレクチャーを終えたところである。  今回から受講生がnote利用の準備を行い、自らnoteにエッセイや記事を書くことで、SNSと公式サイトとの連動を体験することになる。  可能な限り専門用語を避け、懇切丁寧に説明しているが、どうしても和製英語のところは、噛み砕いて解説しなければなら

今の時代、メールが先、そして電話である。

 昔は、用件があれば、さっさと相手に電話をして確認するのが仕事の流れであった。相手が手を離す暇がない時は、電話に出ることはできない。手隙となりコールバックすることで、互いの意思の疎通を図っていた。  ところが、最近は電話(SNS電話を含む)で直接話すよりも、先ず、メールで相手が電話に出れるか否かの打診をするのが礼儀であると言える。電話できるとなれば、間、髪を入れず電話を掛けて、用件を話す。  ところが、電話だけでは文字として残ることがないので、後々、あれこれ誤解が生じたり

AI教祖、降臨の恐れあり。

 生成AIがこの世を席巻しつつある中で、筆者なりに懸念するものは、AI教祖の降臨である。  日本人は仏教であったり、神道であったり、キリスト教であったりと、信教の自由には違いないが、時代錯誤でもある宗教戦争を起こしている諸外国と比べれば、平和そのものである。  勿論、旧統一教会のように、弱者を洗脳したり、恐喝して財産を毟り取るような似非宗教も存在するが、元々、現代日本人は無宗教的な人も増えてきているのか、本家の宗教を歴史的に語れる人は少ないようである。  また、自宅に仏

狂った体内時計では、信用は売れない。

 1日は24時間。それより長くなることも短くなることもない。そして、1週間は7日間である。一気に365日数えれば、一年が経つ。  どうしても理解できない人の体内時計を持つ人がいる。それは、勝手ながらも仕事を1週間に一度の割合にて動くか動かぬかの状態を続けている。  筆者は起業する以前、前職は新聞社に勤めていた。そこは戦場であり、1日24時間では足りないほど、いろんな分野に頭を突っ込み、知見を得ていた。  まだ若かりし頃なので、体力も気力も溢れんばかりで、1日24時間が勿

多様性を拡大解釈するから、歪みが生じる。

 多様性の時代と豪語して、何でもかんでも自由三昧と拡大解釈をして闊歩する人間が多い。これは、余りにもお粗末な思考回路である。  過去を辿れば、「タメ口」と言う言葉が流行ったことがあった。それは欧米のフランクに人と接する一面を鵜呑みにしているだけの話で、それが「タメ口」となってしまった。  欧米のフランクな面は窮屈もなく心地良さそうだが、ある程度の民度高き欧米人は礼節を弁え、対人関係において敬愛の念を忘れてはいない。よって、単なる「タメ口」は無礼な言葉遣いとなる。  そこ

反面教師の記事ネタは、周囲にゴロゴロ。

 時折、熱心なnoterで、ネタ切れと悩んでいる方もいるようだが、周囲を見渡すと、自戒を込めての話だが、反面教師の記事ネタはゴロゴロと転がっている。  如何に、ポジティブ情報よりもネガティブ情報が多いかという証でもあるけれども、それが人間社会というものだ。  偽善者がウヨウヨしている。やってる感を出しているサボタージュ人間もあちらこちらに。皆、仮面を被り、いい子ぶっているが、大半は演出過多の人が多いように思えてならない。それも、自覚のない人たちばかりである。  しかし、

唯一無二なる、内田皿山焼。

 熊本県北部にある旧植木町(現在は熊本市に合併)に「小町楞窯」があった。三十数年ほど前の話であるが、その窯元の舛田楞(マスダリョウ)氏から誘われて、初めて絵付けをすることになった。  筆とゴスを渡され、小皿に絵付けして、裏面に名前を書けと言う。筆は何度か握ったことはあるものの、その筆先の癖や、ゴスを含んだ時の素焼きの小皿への滲み具合が全く分からぬままに描いたのが、写真の小皿である。  筆者にとっては、唯一無二なる内田皿山焼の絵付けであり、下書きなしなので、筆が走らなかった

形から入るのも良いが、先ずは中身。

 年齢を重ねてくると、趣味としてゴルフやテニスを始める人で、ブランドの高級クラブやバッグ、シューズ、そしてファッションまで、完璧に形から入る人が多い。それはそれとして、モチベーションを上げる効果があるので、懐に余裕のある方々は、是非、形から入るという選択をお薦めしたい。  しかし、仕事に関して観察すると、デジタルデバイスや車、バッグにファッションなど、形から攻める人がいるが、それは、ほとんど効果がないといっても過言ではない。見掛けは大切だが、武蔵坊弁慶の様にありとあらゆる武