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親ガチャでSMを引く❸


❷からの続き

その小説を読んでいる間、私の脳裏にはずっと両親の顔が浮かんでいました。

ストロングなエロを目の当たりにして、頭に親の顔が浮かび続けると言う、とんでもない状態。
女子高生の繊細なメンタルなど崩壊してしまってもおかしく無いくらいですが、何故か私のこころは落ち着いていました。

何故、母は父を精神的に追い詰めるような事ばかり言うのか。
父はなぜそんな母に手をあげるのか。
憎しみ合っている筈なのに、なぜ母は父の好物を作り晩酌の準備をするのか。
父は何故母以外の人に怒鳴ったり手をあげたりしないのか。
喧嘩しても殴られても、母はなぜ頑なに父と別れないのか。
母が入院した時、父は何故あんなにも動揺し、辛そうだったのか。
何故父は最後は必ず家に帰ってくるのか。

加虐者は誰で、被虐者が誰か。

殴る人がかならずしも加虐者とは言えないという真実。
そうするしか無いところまで追い詰める人が真の加虐者であるという事。
私が幼い頃から考えていた2人の関係性は実は真逆だった事。

母がSで父がMなんだと言う事。

そして2人は憎しみ合ってはいないのだと言う事。

理解して欲しくて殴り、
なんでわかってくれないのか、わかってくれと殴る。

支配者は母の方だったのです。

次から次へ私に流れ込んでくる気づきの激流に、なにかが洗い流されていくような感覚を覚えました。

親ガチャでSMを引いた私は、SM官能小説によって人生最大の真実に導かれ、なんとか両親を理解し認めて、受け入れることができました。

両親が普通のドメスティックバイオレンス夫婦じゃなかった事を理解し、幼い頃からの心のキズのようなものに絆創膏を貼って貰えた気がしました。

キズは消えないけど痛くはなくなりました。


あの官能小説を貸してくれた男子は、いまどんな人になっているのでしょうか。
立派なサド伯爵になっているのでしょうか。
それとも……。


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おしまい



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