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【仕事日記】生まれや育ち、毒親。働く目的。私のできる社会貢献とは

私の家族は仲がいい。
私の父と母は、私を愛し、何不自由なく
私を育ててくれた。
私はその愛を当たり前のものだと享受し、
生きていた。


でも、そうじゃないんだよなぁ。。


最近友達と話していて、その友達の親は
いわゆる毒親。
そんなこと言われたん?!とびっくり
してしまうようなひどい言葉を
実の親から浴びせられていた。
聞いていて、泣きそうになった。



家族団欒というものを大人になるまで
知らなかった。
自分の家が普通ではないのだと、
大人になってから初めて知った。
そう友達が言葉にした時、
わたしはハッとしたことがある。


「平日は夫が帰ってこない分、
週末は家族団欒の時間を取りたいんよなー」と
わたしはその子に言っていた。
ただただ、わたしはわたしの本心を言っていたに過ぎなかったのだけど、
その子にとったら私の言葉は
どううつってたのかな。



ただただ普通の話をしているつもりでも
その普通がそれぞれにとって違って、
意図せず人を傷つけてしまうことが
あったかもしれないと感じた。
人は、生きてるだけで誰かを傷つけてしまう
ことがあるのかもしれない。


その友達はわたしと同い年で、もう大人で、
これまでの間にその複雑な感情を飲み込み、
整理し、今は達観してる領域にいる。
でも、そこに行き着くまでの間、
例えばもっと幼い頃に、苦しんだことが
きっとあったと思う。
それを思うと、ただただ抱きしめたくなった。
この世の中には、表には見えないだけで
何かを抱えて生きている人がどれくらい
いるんだろうか。


そして、そんな思いを抱えた、
または自分ではまだ気づいてないけど、
辛い状況にいる子どもは
どれくらいいるんだろうか。

私の仕事は小学校の先生で、
正直できることって限られてる。
子どものプライベートに
立ち入ることはできないし、
立ち入って責任も取れないし。
だけど、地域の子どもが集まる場所には
違いなくて、出会いやすい場所では確実に
あると思うから。
どの子にも目をできる限り配り、
愛情を持って接し続けることが
私の今のところできる微力な
社会貢献なのかなと思った。


本当に微力だし、何を綺麗事って感じかも。
忙しさに飲まれたり、自分に実力が
足りなさ過ぎたりでめげてしまい、
ただのお金を稼ぐ仕事なんだと割り切って
働いていたことも正直ある。
それでも、わたしは子どもに対して
何か力になりたいと感じることがとても
多いし、そもそも小学校教諭になりたいと
思った最初のきっかけだって
子ども時代にどんな人と触れ合ってきたかや
自信をつけることの大切さを感じていて、
子どもの力になりたいと思ったからだ。
今回友達と話していて
改めて思い出させてもらえた。


実力が足りなくて、忙しさに飲まれて、
めげることはまたあると思うけど、
めげてもいい。
ただ、目的をもう忘れないで。
ただのお金を稼ぐ手段として見るのではなく、
自分ができる社会貢献ができる仕事だと
いうことを忘れたくないな。


愛情を持って、接すること。
子どもたちに生きる力をつけること。
生きる力とは何ぞや、説明ができないので
私はそこを学び続けること。
家族ができることに比べれば、
公教育の力なんて知れてる部分はあるけれど、
私は私のできることを。

人生の中で、がんばりたいこと。
今日この考えたことを、一生忘れたくない。
小学校教諭人生の、原点にしたいなぁ。
そして、私が社会のためにできることを
考え続けられる場所なのだ。



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