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赤毛のアンフリークの私が、赤毛のアンの名場面をご紹介します。

 私が赤毛のアンと最初に出逢ったのは幼少期、世界名作劇場「赤毛のアン」のアニメでした。当時は幼かったので、アンの突飛な行動やマシンガントークに圧倒されて、「何言ってんだ、こいつすげえな」と、正直見ていて恥ずかしい子だな、という印象しかありませんでした。
 おそらく私は、アンに共感性羞恥を抱いていたのだと思います。想像力って、下手したら中二病のように見られてしまう危険性もあると思うんです。見方によっては、カナダ版の美しい中二病物語と言い表せられるかもしれません。
 そんな私が社会人になった20代半ばのときに再び赤毛のアンを見る機会があり、大人になった私が見ると印象が180度変わって、アンの事が大好きになりました。赤毛のアンだけでは飽き足らず、小説版の赤毛のアンシリーズを読破することとなり、どんどんアンの世界に魅了されていきました。
 ”想像力=創造力”、という言葉がピッタリなアンの生き方に憧れを抱き、これは生きるヒントが散りばめられたとんでもなく壮大な物語だ、と心が震えました。

 すべての章に様々な魅力がいっぱい詰まっていて、絞るのがとても難しく苦しいですが、これぞ名場面だ、と私が思うシーンをぜひご紹介させてください。

3章 マリラ・カスバート、驚く  

マリラ「あの子が私たちの何の役に立つんですか」
マシュー「でもなあ、わしらが、あの子の役に立つかもしれないよ」

 手違いで男の子ではなく女の子のアンが来てしまい、引き取るかを決めかねていたときの、このマシューのセリフは、大人たち、親世代が、今一度心に刻むべき一言ではないでしょうか。

15章 学校でのひと騒動

アン「なんて素敵な日でしょう!」
 「今日のような美しい日に生きているなんて、それだけで嬉しいわね。まだ生まれていない人は、今日という日を逃してしまうから気の毒だわ。もちろんその人たちも、いつかは素晴らしい日にめぐりあうでしょうけど、今日という日は絶対に味わえないもの。それに、こんなにきれいな野山の道を抜けて学校へ行くなんて、なおさらすてきだわ。」

 これぞ、アンの真骨頂です。私がアンに惹かれるのは、第一に、この表現力の美しさです。何気ない日常や街並みも、アンの感受性の豊かさの魔法にかかれば、瞬く間にこれ以上なく美しいものに変幻するのです。

16章 ティー・パーティの悲劇

(寝室に紅葉した枝をいっぱい抱えて戻ったアンに)
マリラ「外からなんでも持ち込んで部屋を散らかしすぎだよ。寝室は眠るた めにあるんだよ」
アン「まあ、マリラ、夢を見るためでもあるわ。美しいものに囲まれた寝室のほうが、いい夢が見られるでしょう?」

 アンはどんなときも、美しさへの探求を忘れません。どんな一瞬も見逃さず、今あるものを最大限に素晴らしくする工夫を怠らないのです。最大限を受け取ることを、決してさぼらないのです。

17章 新たな生きがい

 ダイアナという心の友とのふれあいは失ってしまったが、勉強してライバルと切磋琢磨するという生きがいを見つけたアン。
 「ダイアナのことを思うと、時々、悲しくなるけど、でも本音を言えばね、マリラ、こんなに面白い世界に生きているのに、そうそういつまでも悲しんでなんかいられないわ」

 アンはこれ以降、長期で休んでいた学校に再び行くことを決心し、これまで以上にひたすら勉学に励むようになります。あとの34章にも、以下のようなセリフがあります。

「ああ、野心を持つって、わくわくするわ。私には目指す野心がたくさんあって嬉しいわ。野心には終わりがないもの。一つの野心を達成すると、すぐにまた別の野心が、もっと高いところで輝いている。これだから人生は面白いわ」

 何かを失っても、生きていると次から次へと別の何かが自分のもとへとやってきて、生きがいを与えてくれるものです。

18章 アン、救援に行く

 (絶縁を言い渡されていたダイアナ・バーリー家から、ミニーメイの命の恩人として丁重におもてなしを受けたとき)
アン「こんな風にされるなんて、とてもすてきだもの。大人になるってすばらしいことなのね、マリラ」
 「ともかく、私が大人になったら、小さな女の子にも、一人前の大人のように話しかけるわ」「その子が、大げさな言葉遣いをしても、絶対に笑わないの。どんなに傷つくか、悲しい経験からよく分かっているもの。」

 この後半の小さな子への接し方への決意は、赤毛のアン以降のシリーズ作品で実際に目の当たりにすることになります。アンが親になった際の子供への向き合い方につながっていて、それが子育ての面で、大いに参考になります。そのことはまた別の記事で記載できればと思っています。

19章 コンサートと惨事と告白

 ミス・バリー「長旅をしてくたびれて、ぐっすり眠っていたところを、良い年恰好の女の子二人に、どすんと飛び乗られてたたき起こされたら、どんなものか、あんたには分からないだろうよ」
 アン「ええ、分かりませんわ。でも私、想像はできます」「私たちにも言い分はあるんですよ。おばさんには想像力がおありでしょう?もしおありなら、私たちの身にもなってください。約束だった客用寝室に寝ることもできなかったし。もしおばさんが、一度もそんな栄誉に浴したことのない小さな孤児の女の子だったらどんな気がするか、想像してくださいませんか」
 ミス・バリー「私の想像力も、ちと錆がきてるがね。なんせ長い事使わなかったから。あんたの言い分も、私の立場も、どっちもどっちだね。これは見方次第だ。ここに座って、あんたの話をもっと聞かせとくれ」

 悪ふざけをしてしまったことについて、ミス・バリーに謝る際の謝り方が秀逸です。どういう経緯であったか、自分はどう感じたかをきちんと説明して、相手の想像力を信頼し、そこに働きかけている所が見事です。謝罪の上手さは、アンの処世術の一つだと思います。自分の過ちに関して相手に許しを請う状況の時にとても参考になると思いました。相手の言い分をきちんと聞き、分からないけど想像はできると、相手の気持ちを尊重してしっかりと受け止めていますが、ここが肝心だと思います。
 ここでも、アンの想像力が見事に生かされていますね。想像力は生きることを助けてくれます。

20章 豊かな想像力、方向性を誤る

 アンは、プリンス・エドワード島のアヴォンリー村の湖や森に、「輝く湖水」や「恋人の小径」、独自のロマンチックな名前をつけていた。ある日、マリラに、日が暮れてからのおつかいを頼まれたアンは「お化けの森」と自ら命名したことにより、必要のなかった恐怖にさいなまれることとなった。
 アン「おお、マ、マリラ」アンは恐ろしさに歯をがちがちいわせながら言った。「こ、これからは、こ、ここが、へ、平凡な場所でも、満足して、へ、変な想像は、よすわ」

 行き過ぎた想像力は裏目に出ることもあることを教えてくれる面白いエピソードですね。

23章 アン、名誉な事件で失望する

 学校の友達の間で流行っていた危険な遊びにより、足首を骨折したアン。アンは、同情を求めるように、「私のことを、かわいそうだと思わない?マリラ」とマリラに言った。
マリラ「自業自得だよ」
アン「だからこそ、かわいそうなんじゃないの」「全部自分のせいだと思うしかないから、つらいのよ。誰かを責められるなら、ずっと気が楽だわ。」また、自身の想像力についても言及する。
「私は想像力に恵まれていて、運がよかったわ」「ベッドにいても、心が慰められるもの。想像力のない人が骨折したら、どうするのかしら。」

 アンが、自身の想像力を認めて、誇らしく思っていることがよく分かるセリフです。自己信頼感があるからこそ、他人の批判に揺らがされることなく、いつだって自分のままで生きていくことができるんですね。

29章 アンの生涯における一大事

アン「この部屋にはあんまりものがありすぎて、しかもとてつもなく贅沢だから、想像をめぐらす余地がないのよ。貧しい時にも一ついいことがあるのね、ものには恵まれてなくても、想像をはたらかせるものがたっぷりあるんだわ」

 貧しい時代が長くあったからこそ、アンの想像力がこんなにも育っていたのですね。どんなつらく苦しいことにも、そこから何か得るものが必ずあることが分かり、励まされるセリフです。

“帰り道も、往きと同じくらい楽しかった。-いや、もっと楽しかった。たどり着く先に阿我が家が待っていると思うよ、嬉しくてたまらなかった。” 
「とにかく、すばらしかったわ」最後に、アンは満足そうに言って、締めくくった。「一生忘れられない思い出よ。でも、いちばんすばらしかったのは、家に帰ってきたことよ」

 ダイアナの大叔母であるミス・バリーが住んでいる町に行き屋敷でも歓迎を受けます。都会のキラキラした生活を堪能したアンが、マリラとマシューのいるグリーン・ゲーブルズに帰ってきた場面です。旅一番の素晴らしいことが、”家に帰ること”。アンはいつも何より大切なことを分かっています。

32章 合格者リスト公開、35章 クイーン学園の冬

32章(試験中、アンがダイアナに宛てた手紙)
“私が幾何で失敗しようとしまいと、おてんとさまはちゃんと昇ってまた沈むのね。それはそうだけど、そんなのは全然慰めになりません。私がしくじったら、太陽が動かないっていうならまだ気も休まるというものです!”
35章(慣れない大都会での下宿生活でホームシックにかかるアン)
「とても陽気になれない。陽気になんかなりたくないわ。こうして落ち込んでいる方が、気が休まるもの」

 32章のこの部分も、表現がおもしろくてお気に入りです。大体は、悲しいことがあっても”日はまた昇る”という風に太陽に励まされる、というような表現をすることが多いと思います。ですが、ここでは私の悲しみに連動して世界も落ち込んでくれれば慰められるということを言っています。私はあまり目にしない表現だったので、興味深く、クスっと笑える場面でした。
 35章では、いつもポジティブなアンも、ホームシックからは逃れられませんでした。ですが、落ち込むときはしっかりと落ち込む、自分の寂しいという感情を捨てずに大切に感じ切ってあげる。そうして、気が済んだらまたいつもの明るさを取り戻してまた強く生きていくことができるのです。

33章 ホテルの音楽会

ジェーン「お金持ちになりたくない?」
アン「私たちだってお金持ちよ。この十六年間を立派に生きてきて、女王様みたいに幸福だわ。それにみんな多かれ少なかれ、想像力も持ち合わせているもの。」
 「たとえ何百万ドル持っていても、ダイヤモンドの首飾りを何本も持っていても、あの海の美しさをもっと愉しめるということはないのよ。」
ジェーン「だって、ダイヤモンドはかなりの慰めになると思うけど」
アン「でも私は、自分以外の誰にもなりたくないわ。たとえダイヤモンドには、一生、慰められることはなくても」

 音楽界でひたすらお金持ちを羨む友達との会話ですが、アンは一貫して自分たちの現状の素晴らしさを説き、一歩も譲りません。常に自分軸で在り続け、自分にとって何が幸せかという基準が決して揺らぐことはありません。私は、アンのそういう芯の強さにとてつもなく憧れます。

38章 道の曲がり角

「曲がった向こうに何があるかわからないけど、きっと素晴らしい世界があるって信じているわ。それにマリラ、曲がり角というのも、心が惹かれるわ。曲がった先に、道はどう続いていくのかしらって思うもの。」

 私は、アンのこういう想像力が豊かで、前向きでひたむきで、天才的なポジティブへの発想転換、視点が大好きです。生き方に美しさを感じ、深く魅了されます。

【おまけ】

 また、物語の中でどんどんアンが成長し大人の女性になっていく様が、本当に自然に実感できます。それが顕著に表れているセリフが、31章の

「大切でひそやかな想いは、宝物のように胸に秘めていた方が、素敵なのよ。人に話して笑われたり、変に思われたくないの。」「大人になるって、楽しいこともあるけど、想像していたのと違ったわ」

このアンのセリフです。前半であんなにうるさいくらいにお喋りだったあのアンが、むやみやたらに喋ることはなくなっていくのです。少し寂しいような気がしますが、成長を実感して嬉しくもなります。
 親の世代になって改めて見直すと、こういうところも感慨深く、自分の心と向き合うきっかけにもなると思います。


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