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不要な森

人間にとって必要であるとか役に立つというのは経済活動に貢献するかどうかという一点でしかない。つまり金にならなければ不要であり、役に立たないと決めつけられる。
 
その意味で森は一円にもならないから役立たずということになる。したがって木は切られ地面は整地されて経済に貢献するなにかが建つ。ぼくを含めて自然を大切にしたいと願うひとは地権者ではない。地権者だって自然を大切にしたいとは心のどこかで思っているだろうが、自分の土地が売れば金になるとわかっていてそのまま森として残せるひとは少ない。
 

もうこれ以上切らないで!森が手を広げて訴えている。Sony A7III Loxia 50


かくして何十年もかけて幹を大きくした木々は一瞬で切られ住宅が建てられたり巨大な倉庫のようなものができたりする。徒歩ではどこの駅にも行けないような場所でさえ今や住宅の建設ラッシュである。
 
ぼくら一家は周囲に大きな森がいくつもあるこの土地が気に入って移住してきたわけだが、たかだか二年あまりの間に森の少なくない面積が「役に立つ」土地へと変貌していって、今もその途上にある。森は地権が入り組んでいて、市の保護林と私有地がまばらに混在している。そしてその私有地が売られると突然森の中に鉄の壁ができたり、更地が広がったりする光景が生まれるのだ。
 
ぼくはそうした出来事にふれるたびに悲しい気持ちになるし、息子は憤慨の声をあげている。だけどそれ以上になにができるだろうか。
 

人間の一様性と自然の多様性 Sony A7III Loxia 50


金になるかならないかだけが唯一の指標となって推し進めた結果、地球には人間しか住んでいないということになったらなんとつまらない世界になるか。それは極論だと思う人は自分がいかに日本の豊かな自然に寄りかかっているかを理解したほうがいいだろう。木が勝手に生えるのは普通ではない。多種多様な樹木が混在できるのは日本が偶然おかれた土地や気候条件により生み出される賜物である。日本のような豊かな土地は世界中を見回したってそう数あるものじゃない。
 
なくなってから惜しんでも遅いのである。そしてそのとき一円にもならないものの価値に気がついても後の祭りである。果たしてぼくになにができるだろうか。

Sony A7III Loxia 50

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