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ADHDかな、たぶん、おそらく。

これまでも、生きづらさを感じることがたびたびありました。
対人関係でも、仕事の面でも。
その場面ごとにできる範囲で対処してきましたが、もしかしたら根本的な原因が私の中にあるのかもしれないと思うようになって、行き着いた先が

ADHD

大人になってからそれに気づく場合も多いと知り、何冊か本を読みました。

読めば読むほど自分に当てはまる。
怖くなりました。
わたしは今43歳です。
ここにきて、大きな何かを突きつけられたような気持ちです。

母として18年生きてしまいました。
よかったのかな、わたしの子育て。
気づかずにここまできてしまったことで、子供達への影響はなかったかと、手遅れとはわかっていても心配が膨れ上がっていきます。

思ったことを口に出してしまいがち。
最後のツメが甘く、ミスが多い。
話しすぎたり、相手の話を遮断したりしがち。
職場の女性の輪に入れない。

自分が直したいと思っている部分のほとんどが、ADHDのチェック項目に並んでいました。
目の前が真っ暗になる、まさにそれでした。

近頃は、自分自身を分析したり特性を知るツールが溢れています。
「知る」のは楽しくて、色々な診断を受けてきました。
はじめはカラー診断や骨格診断などから体験して、見た目の診断から一歩踏み込んで、性格診断のような内面の自己理解のジャンルへと興味が広がっていきました。
結果はいつも占いをしてもらった時に似た受け取り方。
いい結果はポジティブに、悪いことは軽く受け流していました。

ある時、わたしの悩みを近くで聞いてくれる友人に、HSP気質を持っているのかもしれないね、と指摘されました。
早速ネット上でセルフチェック、ほとんどの項目に該当し、友人の言葉に納得しました。
HSPを自覚した時の気持ちは、「だからわたしはこうなんだ!」と腑に落ちてスッキリ。
HSP気質による部分で暗い気持ちになっても「仕方ないか」と割り切れるようになり、気づけて良かったと思いました。

でも自分がADHDだと気づいた時の気持ちは全く違いました。
納得はしましたが、受け入れられない。
いや、受け入れたくない拒否反応が混ざっているような。
集団授業に馴染まない子のことを、周りの親が「多動っぽいよね」とか「ADHDなのかな」という声を耳にしてきたからかもしれません。

生きにくい原因がわかったことは良かったのですが、それならどう生きていけばいいのか。
つらいと感じたことからは逃げるのがいいのか、ひと踏ん張りするのがいいのか。
できるなら、心が辛くない生き方を知りたいです。

人生折り返し地点、残り半分を肩の力を抜いて生きていきたい。
そんなことを思いながら、自分の特性を研究したいと思います。

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