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ジーンズって動きやすい服装?

定住して10年、家の収納の一部が開かずの扉や引き出しになり、中に何を入れたのか思い出せなくなっていました。
開けて確認する気も起こらない。
中身を見たいような見たくないような、そんな場所になっていました。
生活をしていると、ものは増え続ける一方。
このままではいけない。
家の中のものを把握しなければと思い、まずはものの量を減らすことにしました。
リビング、キッチン、洗面所…徐々に進めている最中です。

いつかっていつ?

今回のターゲットは私のクローゼット。
いつか着る日が来るかもしれないと、しまい込んでいる服がとにかく多い。
「いつか」なんてそうそうやってくるものではないことは40年の人生経験から分かっているのに、しまい込むのはなぜだろう。
もはや着る・着ないではなく、その服が好きだった過去の気持ちが邪魔をして手放せないことに気づきました。
その服を広げぼんやり眺めていると、この服を着ている過去の自分は頭に浮かぶのに、これを着た未来の自分は想像できませんでした。

過去に執着しているとはこういうことでしょう。
これに気づいてから、手元に残す服と手放す服の判断が早くなりました。

着ないのには理由がある

手放すことを決めた中に、ジーンズ2本がありました。
どちらもかつては休日のたびに活躍してくれた愛着のあるものです。
子どもと公園にも出かける時や、友達とお茶をするときなど。
日常のどんなシーンにも履いていきました。
そのジーンズがここ1~2年、全く出番がなかったことに気づきました。
履くチャンスはあったのに「ジーンズをあえて選ばなかった」というのが正しいでしょう。

ジーンズを履いてもいいけれど別のものを選んだ場面は、子供の運動会の日です。
運動会は保護者も一日中外にいて、写真を撮るためにしゃがむこともあります。
よく言われる「動きやすい服装」がふさわしい日でしたが、ジーンズは履きませんでした。
なぜジーンズを選ばなかったか、その時の私の気持ちを分析しました。

選ばない理由と向き合う

いつからか、ジーンズは他のパンツと比較して履き心地が快適でなくなった、のが理由です。
クローゼットにある他のパンツの方が伸縮のある生地で、何倍も動きやすいのです。
「動きやすい服」だと思っていた服が動きやすくなくなった。
これではこの先もジーンズを選ぶことはありません。
私にとって「動きやすい服装」ではなくなったジーンズはすでに手放す時が来ていたのです。

当たり前を見直す

ものと向き合うようになって、固定概念について考えるようになりました。
わたしの普通と他の誰かの普通は違います。
過去のわたしのあたりまえと今のわたしのあたりまえも違います。

「動きやすい服」の代表格だと思っていたジーンズでしたが、私にとってはそうではなくなりました。
そして、誰でもジーンズ一本くらいは持っていなければ、という固定概念も正直私にはありました。
ジーンズは無くなりましたが私のクローゼットには「動きやすい服」があります。
それでいいのです。

執着や固定概念を手放すと、ものも手放しやすくなる。
そんなことを体感しながら、もうしばらく身の回りを整えていこうと思います。

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