鈴木家の日常 ⑮「誰のための旅行ですか」
「普通」の基準は一人一人違うから、「普通」という言葉をあまり使わないように生きてきた。これは父の教えだ。今思えば、その教えに都合よく言いくるめられていたのかも知れないが、おかげで私は人と違うことに違和感を覚えることなく、「ちょっと違う」人や行動、出来事に対して比較的柔軟だった。そんな私に、どうしても納得できない衝撃的な事が起こった話をしようと思う。
春休み、夏休み、冬休み、年3回の家族旅行はかつて我が家の恒例行事だった。ショウが小さかった頃は、子供の喜びそうなことや学びになりそうなことを積極的に取り込んだ旅行を企画してきた。
実際、星空観察、フルーツ狩り、キャンドルや石けん作り、ホタルの観察旅行、カブトムシ探し、魚釣り、アスレチック巡り、ひまわり畑の迷路、トリックアート、地元を流れる川の源流を辿るなど、家族旅行を通してショウと共に多くの体験と学びをしてきた。しかし、当たり前のことだが子供がいつまでも子供というわけもなく、ショウの中学入学と同時に、私たち家族の思考に少しズレが生まれてきた。
サッカーを中心に考えたいショウ、ショウを応援しながら家族の楽しみも大事にしたい私、そして自分を真ん中に置きたい夫。
夫の名誉のために一言添えると、ずっとショウの成長を考えて旅行を楽しんできた夫が「自分を真ん中に置きたい」と思うようになった原因は私だ。
ショウは中学に上がると、部活動ではなくクラブチームに所属した。もちろんそれは、セレクションを経てのこと。複数のチームのセレクションを受け、いくつかのチームから合格通知が届いた。夫は「地元の公立中学の部活で充分だ」と言ったが、ショウは合格通知の中にどうしても入りたいチームがあり、私は期待に胸を躍らせ半ば強引にクラブチームへの入団手続きを済ませた。
県内有数の常勝チームだけあって一年生でも土日は試合、平日は夕方から練習が週に4日。ゴールデンウイークなど大型連休はチームバスで遠征だった。このハードスケジュールは、事前練習会やセレクション合格後の保護者説明会で聞いていたことだから、私もショウも十分理解して入団した。ただ、夫への説明をすっかり忘れていたことを忘れていたのだ。
家族旅行の話し合いで最初に家族がぶつかったのは、ショウが小学校を卒業した春休みのこと。「小学校卒業記念の家族旅行をしたい」と夫が言った。正式な入団式は4月最初の日曜日。それより以前、2月に済ませた入団手続き以降の練習参加が自由だったため、すでにショウは加入したジュニアユースの練習に参加していた。そちらを優先したいショウが家族旅行を拒んだことで夫の怒りに触れ、私はショウの気持ちを優先させたいと夫に告げた。
何度も何度もしつこい夫、それを拒み続けるショウ、ショウの擁護ばかりにする私。希望に沿わないショウへ、夫はついに言ってはいけない一言を浴びせた。
「誰の金でクラブチームに入れたと思ってるんだ」
ショウは夫と顔を合わせるのを避け、夫の居る時間は自分の部屋へこもった。自分をスルーし続けるショウヘの怒りが日毎増す夫。とにかく夫はしつこい。自分がこうと決めたら、どうしてもそれを手に入れたくて仕方ない。人様の気持ちなんてお構いなしだ。
結局私はその板挟みとなった。重たい空気を纏ったまま数週間を過ごし、あと一週間でゴールデンウィーク。ショウの中学は5月2日が創立記念日、この年の4月30日が土曜だったことで、連休は7日間。もちろんショウは練習と合宿が最優先で旅行どころか家族3人で過ごす時間すら頭になかった。それが気に入らない夫に、私はひとつの提案をした。
「ショウの合宿先へ応援に行きませんか?」
小学校から同じチームのお母さん方が、合宿先で行われる招待試合を観戦すると言っていた。合宿は4月29日からの3日間だ。私たちが応援に行くとして、毎日日帰りでもどうにかなる距離だったが、山間部のその町に2泊3日で愛犬を連れて夫婦2人の旅行をしようと考えてみた。
話をした翌日には、夫が愛犬と泊まれる近くの宿を予約して、綿密な計画表を拵えていた。
「最終日、そのままショウを連れてあと2泊旅行だ。チームにそう連絡してくれ」
夫がそう言ったが、合宿の解散式は戻ってからの予定だ。現地でショウが私たちの車に乗り込むわけがない。迷った私は2日後夫にこう伝えた。
「コーチに話してみたけど、難しいって言われたよ。ショウを連れて帰るのは諦めようよ」
夫はニヤッとしながら被せるように言葉を発する。
「そのことなら監督さんに電話してもう許可をもらってるよ。どうせコーチに話なんかしてないんだろ、嘘がバレバレだ」
やられた。私の行動など見ていなくてもわかると言わんばかりの勝ち誇った顔。ちょうどそこへ練習から帰宅したすこぶる不機嫌なショウ。
「何やってんだよオヤジ、オレ合宿先から車に乗るなんて聞いてないし、乗らねえし。勝手に監督に言ってんじゃねえよ」
「じゃあお前のサッカーは連休明けから中学の部活だな。家族旅行ができないクラブチームなんか辞めろ」
夫の脅迫。私は思わず夫に向かってテーブルの上のお皿を投げつけた。
「そんな一方的な脅迫みたいなこと止めてよ」
夫は興奮気味の私に平手打ちをして、その夫にショウが殴りかかった。家族みんなのための家族旅行が、誰のためにもならないことに絶望した。
項垂れる私を抱えて、ショウが夫に言った。
「お前の思う通りにしてやるよ、いいよ、車くらい乗ってやる。だから母さんに手を挙げたこと謝れ」
「は?お前何言ってんだ。だったらお前もオレを殴ったこと謝れ。母さんも皿投げたこと謝れ。いいかショウ、見てみろ、お互い様だ」
捨て台詞のように吐き出した夫は、そのままどこかへ出かけて行ってしまった。
私はショウの手を握り「大丈夫」と呟いた。
「守ってやれなくてごめん」
謝る私にショウは淡々と言う。
「母さんはオレのために色々してくれてるってわかってるし、誰よりもオレの応援してくれてるって知ってるよ。だから弱っちいのにアイツに立ち向かうなよ。それはオレがやるからさ。オレもまだガキだけど、母さんよりは強いぜ」
こうして、中学3年間のゴールデンウィークは、合宿からの家族旅行となり、それが最後の家族旅行となった。ショウは地方の高校へ進学して寮生活、大学も家からは通えないからと一人暮らしを始めたのだった。
27歳になったショウは、大学時代から付き合っている玲子さんと入籍して、3駅先のマンションで暮らし始めた。
「家族が増えたんだ、家族旅行をしよう」
家族旅行なんてショウがOK するわけがないと思いつつ、夫の提案をショウに伝えた。本音を言えば、私もショウたちと旅行がしたい。ショウからの返事は「いいよ」だった。玲子さんが「一緒に旅行したい」と言ってくれたのだ。早速夫に伝えると、夫は部屋からクリアファイルを持ってきた。
「どうだ、もう出来上がってる。ざっくり計算して28万、俺は10万出してやる。あとは3人で割れ」
は?何言ってる?あっけにとられた私に向かって夫は話を続けた。
「別に俺が望んで家族になったわけでもない奴に俺が金を出す筋合いじゃない。俺の味方をしないお前も言ったら敵だろ、それをお前の半分だけ出してやることに感謝しろ」
「わかりました。この企画をショウに見せて返事を待ちます」
「は?もう予約済みだ、決定なんだよ」
お金の問題じゃない、私やショウ、玲子さんの気持ちなど1ミリの考えていない旅行の企画を立てた夫に腹が立った。私たちの家族旅行は、本当にこれが最後だ。
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