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三日坊主が日記をつけ始め、一年が経っていた話

私は結構好奇心旺盛な性格であると、22歳にして気が付いた。その好奇心のせいであっちこっちに気が向いてなかなか物事が長続きしないことが多い。

そんな中、私は日記を一年以上続けることに成功した。と、先日気が付いた。意識的な日記が習慣となり、無意識に続いていたらしい。

日記を書き始めようと思った動機は留学と、その後の就職活動のため。
留学期間に何をしたか、何を考え、どう成長することが出来たのかをどうしても残しておきたかった。あとは就活のときのエピソードとか、自己分析に使おうという動機。

留学へ行く半年前くらいから初めて、最初の頃は何か書きたいこと、特別なイベントがあったときにのみ書いていた。
周囲は就活で私は留学準備という段階で、あまり友達とも会わずに、アルバイトと英語の勉強(といっても大したことはしていないけれど)という単調な日々を送っていたので、あまり書くことが見当たらなかった。
でも、夏からの留学では、恐らく一日も欠かさずに書いていた気がする。
10時間のバスの旅も、泊りで隣の国のクリスマスマーケットに行った後、直接先生の車で校外学習へ連れてかれたときも(しかもこれが結構なハード旅で)へとへとの頭で寝ぼけた字でも、なんだかんだ書いていた。
書き始めは3行くらいだった日記も最終的には1日1ページ、埋まるようになった。特に留学の終わりを意識し始めてからは「この愛おしい日々をどうしても残したい!」という気持ちで、毎晩目をこすりながら学校から拝借した書きにくいブルーのボールペンで文字を書いた。

そんなこんなで、日記を書き続けたことで思ったこと、
まず、同じような日々を過ごしていても、感じ方は私次第でいくらでも変化すること。
就職活動中の今、留学前と同じようにパソコンと向かい合う日が続いている。それでも、なんだかんだ書きたくなることがある。
以前はきっと書き飛ばしていたような日でも、今では書きたくなることを見つけることが多い。

これはきっと私の感度が変化したからではないだろうか。

留学を通し、人との会話や、見聞きした言葉にアンテナが向いてきたと思う。あ、この言葉いいなとか、この人のこういうとこいいなとか、今日の私自身についてとか。些細なことでも何となく引っかかったものを残しておこうと、日記に書いている。同じような日々でもそこには色々と変化はあって、いいヒントも転がっているんだなと気が付いた。


そして、日記を通して気が付いたことの二つ目は、人との関わりが日々をゆたかにしていることだ。

私が留学で寮生活を送っているとき、同じ場所で同じ時間割を過ごすのにも関わらず毎日1ページも日記を書き続けることが出来たのは、紛れもなく周囲の人との関わりがあったからだ。

この人がこういうことをして、こういうことを話して、この服を褒めてくれて……..毎日、その日の詳細を30分~1時間かけて思い出していた。
日記をたくさん書けるだけ、その日の充実感も比例するように高まっていた。

人と会うこと、これは日記の厚み、そしてそれは人生の厚みを増すことにもつながる。
オンラインで何でもかんでもできるけれど、やっぱり私は人に”会う”人生を過ごそうと思った。

最近は本当にとてもいろいろなことを日記に書いている。その中でもいいなと感じることは、Youtube、本、映画、会話から、自分に刺さった言葉を抜き出して書き出すこと。
これをするには毎日色々な言葉に触れる必要があるのだけれど、この作業をしていくことで、見返したときに、その時に私がどのような価値観で物事を捉え、何を考えていたのかが深い部分まで見えてくる。
し、ポジティブな言葉を見返すことで昔の自分が厳選した文章にパワーをもらえてとてもいい。

これから、私の日記がどうなっていくのか
ひそかに楽しみだ

今日は何を書こう。何を残そう。

3/18,2023

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