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能登へボランティアに行ってきました

みなさん、おはこんばんちは。
無会派「グリーンな国分寺」の鈴木ちひろです。

ゴールデンウィークは、片道9時間かけて、能登半島へボランティアに行ってきました。ゴールデンウィークということもあり、高速道路も混んでいました。

実は以前から東京都のボランティア募集に申し込んでいたのですが、ことごとくはずれてしまい、知人に声をかけて有志6名で穴水町で炊き出しをさせてもらえることになりました。

ともに活動した有機農家の方がお米や野菜などの材料を調達し、ガス会社の方がコンロやガスボンベを準備してくれました。この他にも容器や割り箸、鍋、ごみ処理など、炊き出しボランティアは全て自分たちで準備しなければなりません。

有機栽培のお米を炊き、無農薬の野菜をたっぷり使った豚汁を作りました。避難所にいる方や、自宅避難の方、また全国から来ているボランティアの皆さんに食べていただくことができました。
200人前の調理は難しかったですが、みなさんに喜んでいただくことができ、ホッとしました。

穴水町のさわやか交流館プルート前
岐阜・美濃加茂市の新鮮な食材で豚汁作り

この日はなんと気温30℃超え。
まだ5月だというのに・・・。ここでも気候危機を実感しました。

1月1日に被災したみなさんは寒い冬を乗り越えましたが、今後は猛暑のなか、きびしい避難生活を送らなければなりません。今年は去年の記録的猛暑に匹敵する夏になる可能性もあり、被災者のみなさんが心配です。

配食を終えたあとはまちをぐるっと一周。道路の舗装はしっかりと新しくなっていましたが、鳥居がバラバラになった神社や全壊した家が多くあり、片付けはあまり進んでないように見えました。
家が半壊となった現地の方が、タープの下でボランティアにごはんを振る舞う姿がありました。申し訳なくて遠慮したのですが、「ぜひ!」ということで素麺をいただきました。
頻繁に振る舞いをされているようで、こちらも野菜やお米を差し上げ、交流しました。「町は家の瓦礫は撤去してくれるけれど、建て直す補助金などはない。これからどうしたら・・・」という声を聞きました。

ブリの子ども「ガンド」をほぐしたものが、素麺の上にのっています


現地にご縁があり、仮設住宅を見せていただくことに。
仮設住宅といっても、現地の学校の校庭に一時的に建てたもの。もちろん住居の確保が暮らしの中で最優先ですが、校庭に設置されることで、子どもたちの学習環境に影響があるのも事実です。
住宅のなかには、ボランティアの方が、住民の方のニーズに合わせた棚を作っているところでした。

2年住むことができる校庭内の仮説住宅

その後は、輪島へ移動。
被害のひどい輪島朝市を見学しました。

戦争のあとのような光景に言葉がありません。地震から4ヶ月以上経ったというのに、火事の焦げ臭いにおいが充満していました。
現地のご家族らしき方が、小さい子ども連れで瓦礫を片付け、その近くで子どもたちが遊んでいる姿が印象的でした。

穴水町では全国からのボランティアをたくさん見た一方で、輪島ではボランティアの姿はほとんどなく、とても静かでした。瓦礫が道路からはどかされ、建物の中の陶器などが外にまとめて置いてある程度。
地震直後から、片付けが進んでいないような印象を受けました。

そのあとは珠洲へ。
道路状況が悪く、輪島から海岸沿いのルートでは行けないため、南下して穴水町まで戻り、北上して向かいました。
輪島の火事の被害とは一転して、津波の被害が凄まじかったことがわかります。

珠洲市は以前まで原発予定地でした。
原発予定地の海岸は1m以上の隆起も見られ、もし原発があったらと思うと恐ろしいです。

また、知人のお宅では4月29日にやっと水道が復旧したとのこと。お風呂や洗濯、トイレなどの生活用水が足りない問題も非常に深刻です。

災害時こそ、行政や政治がしっかりと市民を支えなければならないのに、まだ支援が足りていない状況を目の当たりにしました。また、ボランティアの数も圧倒的に少なく、珠洲市内では一人もいませんでした。

首都直下地震に備え、もしものときに自治体が市民を守らなければなりません。
避難所の安全や、住宅の片付けと建て直しの支援、また、身体面だけではなく精神的な支えも必要です。

今後も能登半島へ継続的なボランティアを続けながら、災害時と防災に関するまちの政治のあり方についても、より一層考えていきます。


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