成長する水晶(西巻真歌集『ダスビダーニャ』)
西巻真歌集『ダスビダーニャ』(2021年、明眸社)は、生活の苦さの中に水晶のような美しい歌の混ざる歌集だった。
上記のように、歌集全体に生活の見えてしまう苦々しい歌も多く、こちらも苦しくなる。秀歌ばかりとは言えない。それでもその苦さの中に、時おり水晶のように澄んだ歌たちが混ざる。
夭折(ようせつ)は若くして「早く」死ぬこと。初雪は、その冬に初めて降る雪のことで、「早さ」に通じるものがある。夭折と初雪の「早さ」という共通点を力点としつつ、読点が、上の句に不思議な構造を生んでいる。
散文であれば、もしくは伝統的な理路整然とした短歌であれば、この読点は必要ないとされるであろう。しかし、短歌における読点は、会話体的な意味の圧縮を生む。
この歌の場合、「夭折の、」によって圧縮された意味を希釈すれば、例えば「夭折という一種の憧れの世界から降ってくるところの」その初雪の……のようになるだろう。しかし、夭折への憧れを文字にするのはあまりに野暮であるかもしれない、という思考の躊躇いが、この歌のような読点に繋がったのであろう。
短歌では読点により、意味を圧縮したり、思考をリアルに描くことができる。人間の思考は常に理路整然としているわけではない。いやむしろ、混沌としているときの方がほとんどだ。
人は違う自分へ変わることを夢見る。が、自分は自分として生まれてきたのであり、人格は多少の修正はできても、180度変えることは不可能に近い。が、それでも人は変わりたいと願う。「沸点を越えて」という表現にはそういう願いが込められている。と考えるとき、「ぼく」や「ほか」という音は静かに沸騰している水の音、心の音のようにも聞こえてくる。
他にも、以下のような美しい歌たちがある。暗い洞窟のような日常の苦しさの中に、こんな美しい水晶が成長するなら、苦しみも苦さも無駄ではないかもしれない。
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