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短歌の感想・批評

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記事一覧

睡蓮試論(川野里子歌集『ウォーターリリー』)

 短歌が主に「私」の声を運ぶ一人称の文学とされる中、川野里子歌集『ウォーターリリー』は、…

千種創一
1か月前
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2023年活動まとめ

 2023年は、本当に色々なものを失った。なのに今、生きる気持ちにあふれているのは、失っ…

千種創一
5か月前
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物語の余白にこそ(中井スピカ『ネクタリン』評)

中井スピカ歌集『ネクタリン』は、女性視点からの孤独、痴呆症の進む親との関係、海外への旅な…

千種創一
5か月前
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詩集『イギ』試し読み

『イギ』という詩集を青磁社から出版しました。(青磁社 Amazon )「ユリイカ」や「現代詩手…

千種創一
6か月前
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詩集『イギ』刊行から1年にあたって

短歌から離れていた時期、ぐちゃぐちゃの僕の精神を支えてくれていたのが、詩を書くという行為…

千種創一
6か月前
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定型の辺境を(野村日魚子歌集『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐…

 野村日魚子歌集『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこ…

千種創一
1年前
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靄晴らし(岡井隆歌集『阿婆世(あばな)』)

 岡井隆の死後に出された最終歌集『阿婆世(あばな)』(2022年、砂子屋書房)は、人が死に対して持つ靄(もや)を少しだけ晴らすような歌集であった。  さて、今この文章を読む何者も、自身の死を経験したことはない。そして多くの人は、おそらく死が怖い筈である、なぜなら人は全く想像のできないもの、理解できないものを本質的に恐怖するからである。  死を目前とした岡井隆は、このように歌う。  最後まで読んで散文化すれば、「僕は、目の前にいる暗いまなざしの人に声を掛けようとしている、

遠景としての家族(井戸川射子詩集『遠景』)

井戸川射子の詩集『遠景』(2022年、思潮社)は、タイトルのとおり、遠くから何かを眺めている…

千種創一
1年前
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20年代を歩くために(松村正直『踊り場からの眺め 短歌時評集2011-2021』)

松村正直が様々な場に発表してきた時評を集めた『踊り場からの眺め 短歌時評集2011-2021』(2…

千種創一
1年前
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美術の歌(その1)

李禹煥(リー・ウーファン)は、「もの派」を牽引したアーティスト。もの派とは「石や木、紙、綿…

千種創一
1年前
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成長する水晶(西巻真歌集『ダスビダーニャ』)

西巻真歌集『ダスビダーニャ』(2021年、明眸社)は、生活の苦さの中に水晶のような美しい歌の…

千種創一
1年前
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時差歌会・公開版 (記録)

 2022年5月4日21:00〜22:30、Twitterスペースにて、魚村晋太郎、上篠翔、安田茜、千種創一(…

千種創一
2年前
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開かれた記録性(松本実穂歌集『黒い光 二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後』)

松本実穂歌集『黒い光 二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後』(2021年、角川書店)は、社…

千種創一
2年前
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同人誌「砦」一首評 3

うつらないテレビにわたしの胸板のうすきがうつり暫しを見いる  「境」橋本牧人 この歌が含まれる連作「境」は、境に「きやう」とルビが振ってあるように、歴史的仮名遣いの連作なので、結句「見いる」は、見入る、即ち「みとれる」という意味と受け取った。 消えているテレビの真っ黒な画面に、裸の自分の胸が映り込んでおり、それに見とれているという歌である。 随分と自己愛あふれる歌に見える。しかし、作中主体は、「うすき胸板」に見入ったのではなく、「胸板のうすき」に見入っているのであるから