93-102話

93話、泣きながら見ました。音の出ないトランペットに続いて絞り出すような声で我が子の名前を呼ぶお父ちゃんのジョーと上ずった声で話をするお母ちゃんのるい。桃太郎、お父ちゃんが自分が生まれてから治療法を探さなくなってしまう意味にも気づいたかもしれないと思うとまた切ない。
後半の福引会場のサンタ姿のジョーがラッパのおもちゃを子供に渡すところとか、鶏肉買うた?手羽やけど、の時間を積み重ねてきたことがわかる夫婦のやりとりが大好きで最初のところを見るのはちょっと辛かったんですが、やっぱり素晴らしかったです。
(見直して) ジョーさん。ああるい鶏買うてきたん?手羽やけど。 上等や。あれは?福引き券は?もろたけど明日にするわ。 僕もすぐ帰るよ。待ってるよ。 こんな会話がどんな美辞麗句より積み重ねた時間と愛情の深さを表現しているように思えます。映像ならではの表現。 白居易(長恨歌)も退散しそう。

94話。サンタ黒須が大伯父さんの算太だとわかってるいの親族の質問をするひなた。桃太郎もひなたも決してところでお父ちゃんの親戚は?なんて言わない。ギブミーチョコレートの意味も算数ができない理由ももうきっとわかっていたんだろう。
おじさんはダンサーなんですねと話を変えるジョー。ここまで少しづつ店の手伝いをする様を見せてきたから、動揺するるいの代わりにしっかりしなきゃとばかりに抽選会場でもちゃんと枚数を数え、4等を探し、算太の診察券を見つけて病院に電話して状況を確認したのが違和感がない。
ジョーがトイピアノで弾く5曲がやっぱり聞き取れませんでした。即興で算太のダンスに合わせて少ないキーの中で5曲も弾くなんて、やっぱりセンスの塊なんだ。
ひなた、繊細なところもあるけど、周りが見えていない時があって、すっかり弱っている算太に踊ってと言うところ、安子っぽい。安子も優しく気のつくところと、周囲の思惑が見えないところが同居していた。

95話。算太の本当のクリスマスプレゼントは、大月家が岡山に里帰りするきっかけを作ってくれたことだった。 勇おじさん、実は高校野球を見ていても落ち着かなくて、待機していたのでは?途中で諦めさせられた野球をそれでもずっと手放さずにいて温かくるいたちを迎えてくれた。
算太がいなくなったのは私のせい、という雪衣さん、何か隠している感じが算太と同様。るいの表情がどんどん固くなっていく。るいが、忘れるために岡山を出たというのはこれだけ重いことだった。ロバートさんに会いに行ってたのでは、その疑念を口にすることすら初めてなのでは。
算太、病床にあっても、長い間会わなかったのに、やってきたのが年老いた清子さんだとわかって、隣にいるのが大人になった吉右衛門だと認識しているのが、最終話の安子と違う。繊細すぎて岡山にいられず戻れず放浪していた人だ。

96話。凍るようなるいのところにジョーが来て、空気が和み染み入るように算太の気持ちを話す。 ここで、部屋を出ていく雪衣さんが小走りに畳の縁を踏んで出ていくのと入れ替わりジョーが縁を踏まずにるいの向かい側に座るという動作。まさかこのシーンでジョーさんの生い立ちを見せるとは。家族を失った算太の気持ちを一人ぼっちだったところから家族を持ったジョーが語る。こんなジョーさんがいたからここまで来れた。
勇大伯父さん、錠一郎の「ジョー」はジョー・ディマジオだなんて、戦災孤児で名前の由来のわからないジョーに最初は何てことを、と思ったけれど、野球の塁から取ったるいの伴侶だから野球からだと思ったのかな。こうやって一緒に帰ってきてくれたから。どんな家柄の人かも気にならずただ純粋に。
るいがディッパーマウスブルースに出かける時に母から渡された父の辞書を入れていったのは、一緒に行く気持ちだったのかな。ジョーのいわば実家、定一さんの店。こうして来てくれるとはに、見交わするいとジョーが可愛いらしい。るいの両親がデートした店でるいもまたこうしてジョーとやりとりしてる。

97話。ディッパーマウスブルースで聞く両親のこととサニーサイドのレコード、るいのお父さんとお母さんに会えたと話すジョーの言葉に頑なだった心も解けつつ、かつて母が父の無事を願って必死に祈った神社で父の声を聞き、ようやくるいがアメリカにお母さんを探しに行きたいと言った。
いつかアメリカに行ってお母さんに会わせてあげたいと願ったジョーの立つ場所に現れた写真でしか見たことの無い父。天からるいを見守りながら帰ってくるのを待っていたのかも知れない。我が子が、我が子のことを大切にしてわかってくれている人とここに来たからその人の身を借りて語ったかのよう。
本来はあったという父稔の省かれた台詞、生前の言葉か平易な言葉ではないかと思っていたのですが、お帰り、だったのかもと思ったことを思い出しました。ようやく帰ってきたね。そんな感じではと、ちょっとこれはどうなのかわからないのですけれど。
かつてお母さんに会いたいんやねと言い、アメリカに一緒に行きたいと言ったジョーに、るいのお母さんを見つけて会わせてあげたいと思っていただろうジョーに向かってアメリカに行きたいと伝える。心を告げる相手はジョーさんしかいない。
漫画の読みすぎテレビの見過ぎなひなたの妄想がこのためだったのかというアクロバティックな平川先生との邂逅。終戦詔書の英語の放送から始まるその出会いでひなたには見えたのだろうか、古い時代を感じるテキストの向こうに赤子と背負う母親の姿、震える孤児の姿。英語の放送に希望を見出す親子の姿。
テキストの表紙に書かれたYasuko Rui、かつて母るいに書いてもらったのと同じならおばあちゃんとお母さんが一緒に聞いていたのだ、学校で習う歴史ではない自分と地続きであることが実感できる。

98話。最初変わらない感じで会話しながら、久しぶりに会ってあのねと言い澱むジョーと、なんや怖いと言うトミー、互いに受け入れてもらえるのか、変わっていないかとちょっと思う。また一緒にやれる、あの頃のようなおっとりジョーとせっかちトミーのやり取りがたまらなかったです。
(いい表現が思いつかなくてせっかちと書いてしまったけど、素早いしっかり者で良かったかな)
察しが良くて行動も素早い、すぐに電話するのがトミーらしいし、その電話の先があの奈々さんで、トミーの本名もわかって二人の関係性もわかって、東京に戻ったらどんな会話をしているのかも想像したら面白そう。
るいは一人で勇伯父さんと母について話をし、ジョーはまずはトミーに一人で会って頼んでみる。 アメリカに行くことは共有してもそれぞれが行動する。 そういえば冒頭はひなたとカムカム英語の歌を歌るるい、ラストはトミーとカウンターに並んで座ってコンテストの曲のレコードを聴くジョーだった。
ジョーとカウンターで話をするトミーの横顔にわずかに赤い薔薇の花と思われるものが見えます。やっぱりスターは花を背負って登場ということですか。

99話。ジョーさん、居住いを正して音楽活動を再開するよ、とるいに告げる。相変わらず共鳴しあってんなあ、というトミーの顔がもう映らないのは、トミーがこの時の俺の顔を映したらあかんと指示したようにも見えてしまいます。
ひなたがリュックを背負って商店街を行く姿に黄色のリュックを背負って学校に通う子供たちを重ねて、英語の勉強を始めたことを、赤ちゃんのできた小夜ちゃんと会うのは英語の赤ちゃん、ということでもあるのかな。 勉強するひなたの部屋の壁のポスター、旗本退屈男と棗黍之丞、高低差がほぼなくなる。
ポスターが完全に綺麗に並べられていないのは、やっぱりアバウトなひなた、ということなんでしょうか。 ひなたが熱心に英語を学んでいる姿しか映っていないけれどその間にお父ちゃんも熱心に稽古しているんだろうな。

100話。お父ちゃんアメリカで迷子にならんといてや、大丈夫やるいがいるから、のやり取りの幾つにも意味が重なる感じ。空襲で家族と離れ離れになったじょういちろうがマウスピースがトランペットの元に戻るように、るいに出会って家族になって岡山に帰ることができた。
「うちいり」で、すみれに見つかってしまった榊原さんの背後に見える日本酒の瓶の中に「猿候月」というのがありました。「猿侯捉月」叶わない望みを抱いて失敗することの例えだそうで、繰り返されてきた叶わなかった願いを思わせます。
http://iwanami-art.jp/knowledge/trad/enkosokugetu
ひなたの部屋、時代劇のポスターが見当たらず、アメリカのポスターに置き換わっているみたいで、これは、両親がアメリカに行ったから?

101話。朝ドラ最終回がある頃だから3月末くらい。なのに麦茶を出している。もちろん年中麦茶を飲む家もあるだろうけれど、大月家そんな家ではなかったような?逆にすみれさんのコートは分厚すぎる気がします。すみれさんは星川凛太郎のそばで凍えていたということなのかもですが。
帰ってきたるいは湯呑みを使っていたから、やっぱり時空を歪めていたのかなあ。そして一見サイドストーリー的ないっちゃんと榊原さん、お茶エピソードで劇伴にちょっと絆も使って、ヒントだったのかもしれない。
サッチモちゃんは度胸あるからなあ、と、るいが止めるのも聞かず全部話してしまうトミー。アメリカでオープンマイクで歌ったと。ベリーショートで重かった前髪も短く、岡山に帰省した時よりもずっと明るく生き生きとして綺麗で、母は見つからなかったけど音楽が戻って充実してたんだろうなあ。

102話、前回ラストから映画村と日本の時代劇を堪能させる演出。道場の神棚を見つめるアニー。この神棚もずっとこの道場で鍛錬してきた人たちを見つめていた。 老兵は消え去るのみ、世代交代の意味、でも虚無蔵さんはまだまだすることがある。
アニーを素敵な人ですねと言い、キャスティングディレクターの仕事も確認する。さりげなく。 お父ちゃんに作ってもらった出席カード、あの時は1週間しか続かなかったけれど、お父ちゃんにしてもらったことをちゃんと覚えていたひなた。あの時は無駄ではなかった。

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