83〜92話

83話、スクリーンの向こう側の物語。本来ならこちらがメインストーリーになるところが、観客席側の物語をずっと見ていた。テレビの前でハラハラしながら見ていた私達にも物語がある、そういえば堀之内さんのメッセージがそうでした。

84話、スクリーンの向こう側の人が、見ている人に、見てくれている人がいることに励まされているのだと言っているかのようでもあるなあと思いました。
サンタ黒須こと算太が美味しいと聞いて「大月」にやってきたら、「るい」と呼ぶ声が聞こえる。やっぱり算太は逃げてしまうけれど、るいが美味しいと評判の餡子を作って店を営んで暮らしている様子を垣間見れてほっとしただろう。でも、安子はこのるいの姿を見ることはできなかった。
自分が持ち逃げしたために離れ離れになった親子、娘のるいが結婚して子供もできてささやかながら幸せそうに暮らしているのを自分は見ることができて親の安子が見ることができない、いたたまれないし合わせる顔もない。

85話、ひなたがきちんと仕事をしているのに対し、五十嵐の方は集中できていない。もちろん会社員の仕事と、稽古をするのとでは全然違うんだと思うのですが。五十嵐だって若いけれど、ひなたが自分のすべきことを全うしているのを考えると、この五十嵐の描写はやっぱり敢えてなのかな。
そういえば、ジョーさんもるいから返事を貰えなくて調子悪かったですね。
ただ、五十嵐くんは、稽古をつけてくれる虚無蔵さんに失礼だけど、ジョーさんは誰かに迷惑をかけてるわけではなかったですね。

86話、名前のある役が貰えて役者でやっていけそうと思ってからの落差。時代劇が斜陽になるから五十嵐くんのせいではないけれど、時代劇俳優にこだわっていたら仕事はないし、そんな状態で大月家にも行けなくなるよね。休憩室の背後のポスター、江戸を蹴るとあのかつての宇宙人。二人の背景。
休憩室に何故かあの60年代の宇宙活劇のポスター。大阪編でジョーを宇宙人に喩えたきっかけのポスター。ひなたが備品の茶葉を持ち帰らないでください、の張り紙をするその背後に映っていた意味にだいぶ経ってからやられた!と思ったのがこの回でした。お父ちゃんのことを仕込んでいたなんて。
ひなたの背景にはもう一つ、「暗闇の使者」運命が過酷だったのはジョーだし、その暗闇に現れたのはるいでありひなたであり、さらにこのポスターの左横にすみれさんのポスター。ひなたが辛抱強く側にいたから成功した人。
なんだかんだ言ってもすみれさん、本人にとっては不本意な仕事も最終的にはやっていたんですよね。

87話、86話と同様ひなたの妄想が、70年代昭和な少女漫画の絵柄全開で、見たもの、好きなものの延長の妄想に笑っていたら97話で全部「岡山の奇跡」のためだったのかと驚愕。 「カムカムエヴリバディ」がひなたが書いた英語のテキスト、という点ではドラマ全部がそうなんですけど。
映画と映画村のために尽くしたいと言い大部屋俳優の暮らしが成り立つように考える榊原さんや協力してくれる轟監督、かつて高校生のひなたが有象無象なんて言ってしまった大部屋俳優の人ともきちんと話せている(岸さんと声をかける一言でわかる)姿を見せた後の五十嵐くんのあの態度は見てて辛いなあ。

88話、ひなたに「お金なんてなくても仕事なんてなくても」と言われ、すみれの結婚会見を見ているひなたの様子を見かけ、どんどん追い込まれてしまう五十嵐。虚無さんにおひなを泣かすなと言われ、桃太郎の誕生日会は行こうとしたのに、左近を勝ち取った蘭丸の記事を見ていなくなる五十嵐。
武藤蘭丸に青木崇高さんの配役、藤本作品の常連、というだけでなく、主演を張れる存在感、オーラという点で抜群で、さらに以前に左近を演じた虚無蔵さんの松重豊さんとは違うキャラクターで二代目の「私の左近」の説得力がありました。
桃太郎の短歌が最後まで入らずブチっと切られ、五十嵐くんがいなくなった後に流れる「愛は勝つ」が最後まで流れず切られてしまうことが結末を暗示しているような。

89話、ひなたが眩しすぎる、初見時はるいとジョーが大切に育てたひなたに何を言う五十嵐、と思ってました。 すみれさんには良くても、五十嵐には合わない、寓話のような展開。
桃太郎の誕生日に頼んだビール1ケースの行方が気になるのですが、るいとひなたが飲んで、この二人は普段は飲んでいなくても飲み出すと止まらなくてだったんでしょうか。 酔っ払ってふわふわしたるいとやけ酒気味だったかものひなた。
ジョーさん、すき焼きの用意をしている感じだったりお店で色々やっているのが散見されるのは里帰り週への布石でもあるんでしょうね、ゆっくりでもちょっとづついろんなことをしている。お店でお茶をいれるのはやはり幼少期の面影ということなんでしょうか。
大月家サイドから見ると五十嵐お前何を言う、だけど、五十嵐からすると、俳優を目指さない自分は認めない、と聞こえてしまうから、それだともう一緒にいられないになってしまいますよね。俳優でなくても一緒にいる選択肢がないのなら。

90話。ひなたと五十嵐のために自分達の過去を話す、るいとジョー。るいの歌声は安子の子守唄のように。ジョーが五十嵐を慮って自分もそうだったからと伝える一方で、ひなたを全面肯定して、89話の五十嵐の発言を打ち消している。光の塊。今の五十嵐には合わないだけのこと。
放送当時はトミーのCDジャケット登場に、トミー再登場が嬉しい反面、CDを聴くことができないジョーさんが切なかったなあ。

91話、お化け屋敷はヒットしたものの来場者数減に歯止めがかからない。外国人観光客は今なら効果があっても、当時では映画村の立て直しに貢献できるほどの人数は見込めない。虚無蔵さんに言われ、お母ちゃんのるいが英語を使っているところを見て自分でガイドをやろうと思うのはいいけれど。
(正確には自分でやればとるいに言われてですね。) 思い当たる、その安直さ。英会話スクールに3ヶ月行った程度では話せないときっちり見せて、でも何となく聞き取ってもいる。変に聞き取れたのが仇となってのラスト。

92話、サラバ記念日、誰が上手いこと言えとツッコミたくなるところからラストはジョーさんがトランペットを構える。人生は自分の願う通りにはいかない。だからと言って自暴自棄になるのは間違っている。親が子を思う気持ち、コミカルなところから一気に空気が変わる。
ちりとてちんテイストだったところから、表情が変わるるいとトランペットを構えたジョーで一瞬でガラッと変わってしまうのがもう見事すぎて。カムカムというドラマは安直にトランペットが吹けるようになるとも思えず、でも吹けたらいいのにとも思っていました。

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