11〜20話

11話。稔さんからの手紙にディッパーマウスに行きたいなとあってその後、安子がおはぎを配達に行ったディッパー、マスターの後ろの棚にあった管楽器のミニチュア2つがなくなっている!もうコーヒーが輸入されなくなる話、そしてサニーサイドのレコードをかけたら、ガラスを割られる。
11話のディッパー、天井からの照明器具が映り込んでいるんですが、なんとなくナイト&デイの丸い照明を思わせるような丸っこい照明器具なんですよね。見るたびに必ず発見がある、なんかもう凄いというかいい意味で怖いというか。トランペットのミニュチュアが消えた意味も考えてしまいます。

12話。トランペットなどの管楽器のミニチュア置物がなくなって、レコードの鳴らない音楽の聞こえないディッパーマウスで、絹ちゃんから話を聞く稔さん。色々な「間違えている」が切ない。配達を間違えた、私が間違えたという安子。
別れてこいと言われて、たちばなに来たものの、こんなの間違うとるという稔さん。それに間違うとったんです、最初から、と返す。千吉さんの「世まよいごとを言ってないで」も近い意味で、この時勢では稔さんが安子と一緒になって食べていく道筋は確かになさそう、正論に聞こえます。
小さい菓子屋に稔さんが婿入りしてもどうやって食べさせる、が、小さい菓子屋でるいが大黒柱でやっていく、に変わる。戦前と高度経済成長期の時勢の差。

13話、紫陽花の季節に算太が召集され、風鈴がなってたちばなの丹原さん黒鉄さんも招集される。商店街に人がいない。冬になり小しずさんの里に着物と小豆を交換に行き庭で大根を育てている。ディッパーはレコードも供出、もう何もない店。次の夏には甲子園球場も解体される。そして秋が来て、ラジオが大正12年11月末生まれ以上の理工医系以外の学生の徴兵猶予が停止されたことを伝える。稔さんが英語講座を聞いてみてと言った、ラジオが。
この回、今まで街の人として映っていたお茶のお店のおじいちゃんが算太の見送りに映っておらず、青系の着物の前掛けをしたメガネの男性(森岡酒店さんの岡山バージョン?)が写っている。黒鉄さんがたちばなの前で見送られる時にも後ろ姿が遠くにある。大根を抜く金太さんの首に手拭い。
杵太郎さんが腰を再び痛めて寝込む。稔さんの下宿に来て問い詰める勇ちゃん。今見ると大阪編以降にも形を変えて描写がある。でも一番はやっぱり風鈴でしょうか。風鈴が鳴って、畳み掛けるように辛い出来事が続いていく。

ジョーさんの家がたちばなの隣のお茶のお店(とひなたが設定したのだけれど)だと気づいてから、岡山編を見るたびにジョーさんの気配がずっとあるように感じて、表の主人公はヒロイン三世代だけど、裏を返せばジョーさんが主人公でもあるように思えてきました。
お茶のお店のメガネをかけたおじいちゃん、季節問わず同じ着物で度々登場してる。安子の後ろを通り過ぎ、ラジオ体操もいつもいる。

14話、病床の杵太郎さんがもの凄い顔をされている。職人も孫の算太も出征、菓子は作れず、孫娘の安子は稔さんと別れてしまった。甘い香りがすると思ったら安子、は小さい頃から菓子が大好きな孫の幸せなイメージ。おいしゅうなれ、幸せになれの切実さ。祈るとはこういうことなのか。
わずかな小豆と砂糖で心づくしのお汁粉を千吉さんに振る舞う安子、次の回の少しだけ取ってあったコーヒーを入れる定一さんと対でもありますね。ジョーの親代わりとるいの親。コーヒーにおはぎが合うと言ってた定一さん、15話の定一さんのコーヒーは本当に美味しそうに映ってました。

15話、結婚の報告にディッパーを訪れた安子と稔を精一杯もてなすために、丁寧に豆を挽き、丁寧にコーヒーをいれる定一さん。孫でもおったら気が紛れたのにと語る、その定一さんの後ろに映るステンドグラス。大阪編の試着室のステンドグラスに繋がるよう。孫のように救いになったのはジョー。
子供は作っていけと言われた安子と稔の娘はもちろんるいで、神社で名前を決めて、もう決めている、秘密じゃと言い合って。この神社で結婚を申しこんで、おめでとうと現れた勇にお礼を二人で言う背後遠くに撫牛が映り込んでいて、北野天満宮を思い起こします。
るいとジョー、日本の神様と西洋の神様とが守っているのかな。 そしてまた物陰から現れた勇ちゃん、光の当たる兄に対して影にいる弟のよう。
それにしても稔さん、折り目正しくとはこういうことか、の橘家での立ち居振る舞い。ジョーさんとは真逆なようでいて、大切に思って一生懸命なのは一緒ですよね。

16話、神社のシーンの回想、稔さんが15話で言った台詞のうち「自由に演奏できる」という部分をあえて外しています。印象操作?何のため?後にトランペットが好きになる少年が登場するから、一旦忘れてもらう、ということかな?
お腹が大きくなった安子に、勇ちゃんが「スイカ丸ごと飲み込んで歩きょうる」なんて言ってますが、スイカ、案外重要アイテムですよね。大阪編以降は実物が登場してきます。
「るい」という名前が珍奇だと言ってますが、江戸時代末期が舞台の小説「御宿かわせみ」の主人公は「るい」さんなのでそんなに変かな?と放送時思ってました。るいさんが宿屋やってて、与力の弟で仕事のない東吾さんが恋人で通ってきていました。

17話、安子が生まれた幸せな1日を語る小しずさんの回想の映像で、お祝いを持ってきてくれた商店街の皆さんを居間に上げて、大騒ぎして、のところで、お隣のお茶のお店のおじいちゃん(帽子は流石になしで)らしき人が一番手前に座ってます。お隣だから、一番最初にお祝いに来たのかな。おじいちゃんが一番最初にお祝いに来てくれたということは、逆に「じょういちろう」くんが生まれた時は一番に金太さんがお祝いに行ったのかな。乏しくなった材料で作った紅白饅頭を持って。その日は安子は大阪に行っていたから描写がない。と、思ってます。
この後、岡山空襲となるのですが、隣のお茶のお店、映っていて燃えてしまうのがわかります。 何もかもなくなってしまった焼け跡、たちばなとお茶屋さんの間にあった小さい石像(お地蔵さん?)も見当たりません。「じょういちろう」くんの身代わりになってくれたんでしょうか。
小ネタ?としては、ちび算太が酒屋のおっさんと賭けたんじゃと言ってて、酒屋さん、あの青系の着物の前かけしてメガネかけてた人かな?と思って、その後どうなったのか、わからないけれど無事だったらいいなあ。

18話。空襲で小しずさんとひささんを亡くし店を焼かれ床に臥せった金太さん、安子の作ったおはぎの餡を口にして、雨の中、店の焼け跡から探し出した砂糖を入れた缶。これが、44話のジョーの部屋にあったコーヒーの隣の錆びたような茶筒に繋がるのかな。
砂糖の缶は、御菓子司たちばなの希望なら、じょういちろうくんが生き延びたのが多分本人の記憶にないご両親の希望なんじゃないかな。コーヒーの瓶はもちろん定一さん。
上からの撮影、立っている安子と布団にくるまる金太さん、カメラに対して手前になる安子に対して奥になる金太さんがとても小さく見えます。

19話、千吉さんと金太さんが縁側で互いのことを話す。稔さんが帰ってきたら新規事業を。稔さんと算太が帰ってくることを待ち望む父二人。長男が帰ってこない父と帰ってくる前に亡くなる父。金太さん、店を無くし小屋を建てて過ごしたことで余計に体に負担がかかったのではと思ってしまう。
燃えずに済み、日常を取り戻していく雉真の家との対比も残酷。その中で、小屋に掲げた「たちばな」と書いた布がガラスに映ると文字が近松、虚実皮膜の合図、金太さんの夢の中に算太が現れる。おはぎを盗んだ少年が帰ってきた、賭けに勝った、安子が生まれた日に賭けをした算太はきっと帰ってくる。

20話。雑踏に聞こえるリンゴの唄と読経。現世とあの世ということでしょうか。その境目から、勇ちゃんは帰ってきた。けれど稔さんは紙1枚がきただけ。毎日ちょっとづつ見るとここまで厳しいことに耐え続けるのはどうにかなってしまいそう。次々に家族を失って正気でいられるだろうか。
家族が亡くなるところを全部覚えている安子と、記憶のないじょういちろうくんの対比でもあるのかな。

20話のこの世とあの世の境目のような雑踏のシーンで、59話の海も境目なのではと、前から思ってたけど、20話を見て余計にそう思いました。 昔、大阪・四天王寺の西門の先は海で、石鳥居の西門は極楽の東門であり、鳥居の向こうの沈む夕日を見て極楽浄土を観想する日想観、を思い起こします。
能「弱法師」、人の讒言で父に追い出された子が悲嘆のあまり目が見えなくなり、乞食となり弱法師(よろぼし)と呼ばれる。四天王寺で父が我が子を見かけ日想観を成してから帰る。シテ(主人公)登場時「出入の月を見ざれば明暮の夜の境をえぞ知らぬ。難波の海の底ひなく。深き思いを人や知る」
下歌「もとよりも心の闇はありぬべし」 このくだりで59話をいつも思い出してしまいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?