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腎臓の予後予測を告げられての想い

今回の投稿も、私個人の現在の心境・想いを素直に語っていますが、前向きと捉えられないかもしれません。内容的に不快に感じられる方もいらっしゃると思います。特に現在治療をされている方や、前向きな記事だけを希望されている方は、お読みいただかないほうがいいかもしれません。
ご了承の上、お読みいただきますようお願いいたします。
コメント欄にて反論やご意見などはお受けいたしません。


先日、膠原病科でステロイド減量という喜ばしい話があった一方、腎臓内科では先生から改めて厳しい話を伝えられました。以前から何度か聞いてましたが、年間のデータを元にこのペースで機能が落ちていけば自分の腎臓があとどれくらいの年数まで働きを保てるかという予測です。

私はSLEでループス腎炎を発症してから、急性腎不全に陥り一時的に透析を受けました。並行してSLEの治療の一環で血漿交換も行うことで、腎機能を少し戻すことができました。
しかし、回復は全機能の半分ほどのため、その機能をどこまで保ちつつ過ごしていけるかが大きな課題となりました。そしてそれからちょうど30年ほどが経ちました。
SLEに関しては幸いなことにそれ以後寛解の状態を保てています。

腎代替療法の選択は大きく分けると透析と移植になります。
別記事に書いているように、現時点で透析と移植のどちらも前向きに検討はしていません。それがどういうことかは自分でも理解しています。先生に改めて問われた時も、迷わずに答えてしまいました。

その想いに至る理由のうち一番大きなことが、
① 自分の腎臓が役割を終えるのなら、もう自分の身体を酷使したくない。
→今までも透析後に残った腎臓の機能を酷使しながら頑張ってきました。透析はまた自分の身体を酷使することで、移植は腎臓を譲り受けることになります。

②少子高齢化の現在とこれからを考えてみて。
→自分が今10代や20代、そしてもし子どもを授かることができていたら別の想いだったかもしれません。生きる権利は皆平等にあるとはいえ、社会制度として自然と優先度が生まれます。

命の大切さは身に染みて感じていますし、治療も前向きに受けています。
日々を大切にする気持ちも変わらず、毎日を楽しく生きていく気持ちにも変わりはありません。
そして自分を大切に想ってくれている人たちの気持ちのことも考えています。だからこそ今すぐに判断するわけではなく、先生からも「あくまで現時点での本人意思」として聞かれたことに対して、素直に自分の気持ちを答えました。

この記事を書くべきかかなり悩みましたが、現時点での自分の想いを書き留めておきたく書くことにしました。


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