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生きやすさとカテゴライズ

自己分析や診断、血液型や占いなど様々な観点からカテゴライズすることがあります。話題の一つにもなりますし、私も楽しんだり参考にすることはあります。でも例えば血液型を伝えて「じゃあ◯◯だよね!」と返されるのは苦手です。いかにもそれだけで私自身の性格や人格を決定づけられているような気がするからです。
ある人から「⭐︎⭐︎ちゃん(私の本名)は⭐︎⭐︎ちゃんだから血液型とか全然気にならない。なんかこのことに意味ある?輸血の時は大事だけど(笑)」と言われた時、一瞬当たり前のことなのにこの人優しいなと嬉しく感じたことがあります。

今、多様性を認めて誰もが生きやすい社会を目指しているはずなのに、実際には上手くいっていない気がします。
私はその原因の一つが「カテゴライズの多さ」だと思っています。
人はすでに生まれた時から異なっていて誰一人として同じ人は存在しません。生まれ持ってのものもあれば、その後の人生で形成されるものもあります。その中で配慮や援助が必要な時にはどんなことか明らかにする必要性があります。察する文化で生きてきた私たちは今大きく変わってきています。今と昔では常識や当たり前と思われていたものもどんどん変化していて「無理をしない、自分を大切にする生き方」へ進んでいます。
でも実際には今でも他者には明らかにはしていないけれど問題や悩みを抱えながらもなんとか上手く社会に適応している人もたくさんいると思います。

自分をカテゴライズする機会や主張ができる場が増えていることは、他者への理解を得やすくなり生きやすさにも繋がるという良い面があると思います。仲間ができて共感したり悩みを打ち明けることもできます。その一方でカテゴライズしすぎることで他者との間にフィルターのようなものができてしまい逆に偏見や差別、軋轢を生みやすくなってしまうような気がします。
いい意味でもっと柔軟に自分のことも他者のことも緩く考えられたら生きやすくなるのではないでしょうか。




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