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第▲話|自己責任論はお得じゃない

自己責任という言葉があるけど、自己責任というのは自分を人に代わってもらえない程度の意味ではないか。自分のことを自分に受け入れること。当たり前じゃない?と思うかもしれないが、身に起きたことを受容するって、それが自分でやったことの結果であっても、そうでなくても、いずれにしてもけっこう時間がかかったりする。それを受け入れること。

自己責任論は、その先まで自分でやれ、助けを求めるな、一人で回収しろといっている感じ。自己責任と自己責任論は違う。

たしかに自分が蒔いた種は自分で回収しなければ、という意識はある。ただそれを一人でやらなくてもいいはずで。ときには全部やってもらったっていいはずで。

生活保護は困ったことになった理由は問わない、良い制度だと母は言っていた。「理由を問われない」ことは大事なのかもしれない。

自己責任で生きているけれど、人は個人では弱いものだから、互助組織をつくって助け合う。その大きいものが民主主義の国(のセーフティネット)。「お互い様」の拡大版。今は助ける、でもいずれ私も困るかもしれないからそのときはよろしくね、またはその逆の集合体。「情けは人の為ならず」が具現化したもの。

代表者が間違えたり窓口の人がやる気がなかったりすることもある、期待しているよりずっとよくあることなのかもしれない。それで諦めるのではなくて、一緒につくっていく気持ちでやっていけたら理想的。理想は。

社会福祉について考えるのに、この本がとても良かった。

『経済政策で人は死ぬか』デヴィッド スタックラー, サンジェイ バス 
訳:橘 明美, 臼井 美子

人の生死に関わるのは不況そのものではなく、それに対する経済政策だという。ざっくりいうと、社会保護(社会福祉と公衆衛生を含む言葉)を厚くすると景気回復が早くなる。財政緊縮(健康保険、失業者支援、住宅補助等への政府支出の削減)をすると、アルコール依存や病気や自死が増えて消費は冷え込み治安が悪化して、景気も回復せず、かえってコストがかかるようになる。だから社会保護をしっかりしたほうが、全体としてお得という話。

それが様々なタイミングの様々な国の具体例とともに紹介されているのだが、社会保護か財政緊縮かで、こんなにはっきり違いが現れるのかという、鮮やかすぎて見事だった。

借金がある状態で働いていて風邪を引いたとして。1さらに借金をしてでも必要な医療にお金をかけて、家で休んで、体調が万全になってから働くか、2借金があるからといって病院に行くお金を惜しんで、節約のために住環境も悪いところに越して、休まず働き続けて、より深刻な症状を招いて回復しきれず長期にわたってひきずってしまうか、という違いなのかもしれない。

特にリーマンショック後、金融バブルが崩壊して国家破綻しそうになったアイスランドが、銀行への公的資金投入を国民投票で否決、潰れるに任せ、一方で住宅支援や再就職支援、医療保険といった制度を支え続け、景気回復に成功した事例が印象深かった。

国はものすごく複雑なあれこれで成り立っていると感じているけれど、人の集合体でもあるから、意外とシンプルに人の生活や身体との相似形をなすのかもしれない。お金を最重要視して健康を損なっては元も子もないとか。お腹が痛いのはお腹の自己責任だろとほっておいたら致命傷になるかもしれないとか。とはいえ身体だってものすごく複雑だし、守りすぎても弱くなるし、具体的に何をどこまでどういうタイミングで、というのが難しいことなのだと思うけれど。

基本的には自己責任論は損とわかる一冊。





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