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土曜の夜の恋人(短編小説)

彼女がくるのは、決まって土曜の夜だった。

私の店はカウンター席のみの小さな居酒屋で、通りに面して2階にあるから、ひとりで入るには普通は勇気がいるもので、女性で、さらに、ひとりで来るお客さんはなかなかに珍しかった。

彼女が初めて来た日は、土曜日のもう20時をまわっていて、貸し切り客が帰って一般のお客さんが入り出した頃だった。

私はその日、正直少し疲れていた。25時までの営業を思い、あと5時間か、と心の中でため息をついたところだった。そんな時、彼女がフラッと現れた。

「いらっしゃいませ」

声をかけると彼女は軽く会釈をした。
「おひとりですか?」

「はい」
彼女は小さな声で言った。

長身でスラッとした雰囲気で白いティーシャツに緑の柄のゆったりしたパンツを合わせて、キャンバス地のバックを下げていた。肩の力の抜けた非常にラフなスタイルで、穏やかな雰囲気を纏った女性だと思った。

彼女はドアに一番近い席に座り、しばらくメニューを見て悩んでいるようだった。しばらくすると
「すいません。シークワーサーサワーください」
と言った。

「はい」
私は微笑んで答えた。

彼女の席のひとつ開けた席にはふたりお客さんが座っていた。ふたりで熱心にお笑いタレントの話や音楽の話に興じている。

彼女は静かにコップに口をつけて飲み始めた。携帯を出して見るでもなく、たまに店の様子を眺めながらその空間を過ごしていた。

「梅水晶ください」
彼女はまた静かにオーダーした。

彼女は、私の運んだ梅水晶をひとくち口に運ぶと、咀嚼する。
箸を置いて、手を膝に置き、前を向いているのかいないのか、見えているのかいないのか、静かに咀嚼している。

私はこうやって飲み屋の店主をして、もう長く、この店を出してからは14年になる。住みたい町ランキングではいつも上位に入るこの街の片隅で、路面店ではない、商店街の中にある小さな店が、そんなに長く続けられるとは思ってもいなかった。

長く続けていると、本当にいろんなお客さんがいるなと思う。何も喋らないのに佇まいがうるさい人、なんで話さないのに、行動でそんなに全てを語ることができるのかと思うほどに行動のうるさい人がいる。

彼女が何度目かに来店するようになってたまに会うようになったのは、そんなうるさい男だった。二人を見ていると、会話のない劇を見ているようだった。

行動のうるさいその男は、行動がうるさいと言っても、動作が粗野で乱暴であるとかそういったことではない。リアクションがいちいち仕草や振る舞いに出るといった感じである。

彼女は静かで、いつもフラットな肩の力の抜けた、まるで風がそよいでいるかのように穏やかな雰囲気を纏っていたから、彼との対比が面白すぎた。

二人で笑って離していると、彼は大袈裟に手を振って、頭を掻く。飲み物をひとくち飲むと体をこわばらせて前を向いて固まっている。彼女は口に手を当ててクスクスと笑ってグラスを口に運ぶ。彼女が何かほめたのを、彼がひどく照れて恐縮したような場面かととれた。

言葉のやり取りは聞こえなくても、彼の態度からその会話が聞こえてしまうような行動のうるさい彼と彼女は決まって土曜日に時々現れた。

いつも静かな彼女がソワソワと時計を見ている。しばらくすると彼が現れる。二人は小一時間話をすると、先に彼女が帰り、見送ると、彼も帰っていく。まるで恋人の逢瀬のように。

ある日、少しだけ長く話していた日があった。静かな彼女とうるさい彼は静かに話をしているようだったが、しばらく話すと、彼はしばらくうつむいていた。何か深刻な話でも今日はしているのかと、私は思っていた。

それからいつからか彼女は訪れなくなった。 
行動のうるさい彼ひとりが、土曜日のよく待ち合わせしていた時間にたまに訪れて、らしくなく静かに飲んで小一時間すごし帰るということを繰り返した。

そんなことを3か月くらい過ごした後、彼もそのうち来なくなった。

私は、妙にあの二人を覚えている。
うるさい彼と静かな彼女はとてもお似合いだった。

ここでだけ会う二人はきっと、土曜日の夜の恋人だった。




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