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世界共通の「美人」の定義

濃いフランスネタに疲れたので箸休めに別のことを書いてみることにしました。

今日のお題は、『世界共通の「美人」の定義』です。箸休めの割に壮大なテーマで統計でも取らない限り答えが出ないのは承知ですが、ここで自分の経験に基づく個人的見解を書いてみたいと思います。

日本でいわゆる外見的に美人・いい女の要素で好まれるのは、「小顔」「美白肌」「パッチリ二重の大きな目」「通った鼻筋」「涙袋」「広めの額」「スレンダーな体」「大きめの胸」などがあります。しかしこれら日本の美人の定義が海外でそのまま通用する訳ではありません。

私はラテン圏(主にスペインと中南米)における美人の定義にしか明るくないので視点が偏っているかも知れませんが、上記項目でラテン圏でいい女の条件に加えられるのは「大きめの胸」くらいだと思います。(これは世界共通か、、でも中南米で大事なのは胸より基本シリとくびれです。)

かといって、二重の大きな目の女性=ブサイク になる訳ではなく二重で美人と言われている人も多く居ますし、逆に一重の切れ長で小さい目の女性を好む人も多くいます。また欧米では健康的な小麦色の肌の方がセクシーととられる場合が多く、小麦色の肌=バカンスに行く金がある証とも言われており、好意的に取られることが多いようです。スペイン人の夫曰くスペインでは小顔やおでこの広さは美人の条件に微塵も加算されないそうです。

さて、それでは日本人の間でよく耳にする「西洋人男性と歩いている日本人女性にブスが多い」というのは本当なのでしょうか?確かに個人的にも正直国際カップルで片方がブサイクという例は男女問わず多いと思います。勿論同国人カップルでも同じ例はありますし、双方美男美女の場合もあれば、双方ブサイクな場合も、双方標準的な場合もあり様々ですが、、。最も私が多いと思うのは、自国でそんなにモテないであろう欧米男性(主に白人系)が日本では女性にチヤホヤされプレイボーイぶりを発揮しているケースです。

上記の「国によって美的感覚は異なる」とか「恋人を顔で選んでる訳じゃない」というまっとうな理論は横におき、何故外国人を実際より美男美女だと思い込んでチヤホヤしてしまう傾向が強いのかについて考えると、やっぱりそこには「人種が異なると極端に相手の顔を識別する能力が落ちる」というカラクリが隠れている気がします。

例えば日本人はフランス人とスペイン人とイタリア人の顔を、顔だけを見て(大体でいいので)見分けることができるでしょうか?ヨーロッパは色々な人種がミックスされているので難易度が高いと思いますが、一人を比較するのでなく数名単位での比較ならどうでしょう?私は今はスペイン人と結婚しフランスに住んでいて目が慣れてしまったのである程度見分けられる気がしますが、これが10年前だったら区別がつかなかったと思います。

では逆に日本に縁のないスペイン人が日本人と中国人と韓国人を見分けられるでしょうか。これは我々日本人には割と簡単ですが、彼らには至難の業です。多分暫くアジア人と触れ合わないと無理でしょう。

私の祖父は外国人を見ると全部アメリカ人だと思ってしまうらしく、夫を紹介した時もまず「米国人か?」と聞いてきました。私も初めての海外旅行ではヨーロッパには女優や男優みたいな人がいっぱいいる!と思いましたし、学生の頃バイト先で一緒に働いていたイタリア人シェフには相手が外国人というだけで英語できないし〜などとビビってあまり話かけられなかった覚えがあります。しかし慣れるとその辺りの感性は変わって来ます。

さてここでうちの夫のケース。義妹が「兄さん前からアジア女性を見て綺麗だと言うことが多かったのよ〜ウフフ笑」と言っているのを聞いて、一体どういう経緯で夫はアジア人女性をそういう目で見るように至ったか不思議に思い問うてみました。

曰く「昔は皆同じに見えてなんとも思わなかったし、寧ろ外見的にそんなに好きじゃなかったけど、シドニーに住んでいた四年間に多くのアジア人を日々見ていたら目が慣れて来て、段々顔の区別がつくようになると親近感が増し、外見的に自分の好みかそうじゃないかも見分けられるようになった。」「同じく以前は黒人の見分けが付かなかったけど、黒人が多いパリに住んでいるとだんだん違いが分かるようになってきて、美人が識別できるようになった」とも。

夫の「美人の定義」は日本人の感性と同じところもあれば違うところもあります。例えば中山美穂、チャンツィイー、小池栄子は美人だそうですが、ベッキー、加藤ローサ、剛力彩芽は全く美人に見えないそうです。これはやっぱりアジ専なのか?と思っても、スカーレットヨハンソンやジェニファーロペスなどガチ欧米女優も美人だと言うので、そういう訳でもなさそうです。

以前スペインで羊を三百頭ほど飼っている人に、「どれがどれか見分け付く?」と聞いたところ、「勿論」と答えていました。きっと彼は自分好みの顔の羊や、美羊とブサイク羊の見分けがつくはずです。

こんな話を経て、美人の定義は自国の定義や個人の趣味によって変わるものの、「美人かどうかを見分けるにはある程度その人種の外見の個体差を識別する能力」も必要なのだと思いました。そして日本のブサイク=海外で美人という方程式も、日本の美人=海外で美人という方程式も成り立たないけど、(個人の好みは置いといて)チャンツィイーやジェニファーロペスのように世界共通の美人はやっぱり存在するし、胸とシリは大事なようです。(首長族など少数民族の独特の美人定義は含めず)

そういえばブサイクでも顔のパーツを黄金律に沿わせて配置しなおすと美男美女になるので、もしかすると世界共通の美人とか美の定義って、そういうロジカルで普遍的なものなのかもしれません。

これだけ語っておいて胸とシリと黄金律でシメるとは夢オチばりに捻りがないですがこの辺で。本日も雑文失礼しました。

※ちなみにさっきから何度もブサイクと言い放っていますが、この言葉は単に「美人」の対義語として用いているだけですので性格悪いと思わないでください。ブサイクでも可愛いさや個性があったり、人間性が人の魅力なのは心得ております♡


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