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父の死の間際に考えたこと

膀胱がんで闘病中だった父が亡くなったのは、突然だった。

あの土曜日、私は仕事が休みで家にいた。昼過ぎに母から「下血しているみたい、トイレから出てこない」と電話があった。母に入院の準備をしてもらい、病院に電話をしてから、父と母を迎えに車で実家に向かった。

病状から、次に出てくる症状は、痛みで歩けなくなるか(骨転移)、腸閉塞や下血(腹膜・腸管への転移)が考えられていた。大量下血する可能性は以前から考えていた。すでに貧血がはじまり、定期的に輸血をしていて、週明けにも外来で輸血の予定をしていた。下血したら入院になるだろうと思っていた。

実家に到着したら、事態はもっと深刻だった。救急車で近くの病院に運ぶか、車で1時間の主治医の病院に連れていくか迷った。何も情報のない病院に診てもらうよりはと考えて、主治医の病院に連れていくことにした。

父の意識は車の中で低下していた。おむつをつけていたけど、下血が止まらないのだろう。運転しながら、このまま亡くなってしまうことも覚悟した。

病院についたら、そのままERのベッドに寝かされた。検査の結果、がんの転移が大腸を巻き込んでいて、大腸が破裂している状態であり、重度の貧血。緊急輸血をした。痛みも強かったんだろう。もうろうとしていて、痛みは訴えなかったけど。

ERで診てくれた医師は、「大腸切除の手術の可能性を外科医に相談するかどうか?」と聞いてくれた。元外科看護師として、望みがないと感じた。まず、貧血がもう少し改善されないと手術はできないし、輸血以上に出血(下血)している現状で、貧血が改善される見込みがない。このまま手術すれば、術中死亡の可能性が高い。そして、腹膜播種転移している現状で、侵襲の大きい手術をしてどうなのだろう? 

その間も出血は続いていた。もうろうとしてはいたけど、やり取りはできた。母とゆっくり会話をしていた。

いつの間にか、夜になっていた。夜勤の看護師が、ERの個室に移してくれた。

近くに住んでいる、父の兄弟に電話をした。その夜、そのままERの個室で亡くなった。最後は苦しまずにすっと亡くなった。

看護師による死後処置中、これで良かったのだろうかと考えた。どうにも気持ちがまとまらずに、看護師をしている従姉妹に気持ちをまとめてメールした。「その選択肢だよ」と言われて、ほっとした。

父は、亡くなった前日まで大好きなお酒を飲み、仕事もして、亡くなった日の午前中まで自分で車を運転して買い物に行っていた。ガソリンも満タンで、週明けに外来に行くつもり満々だった。

父は、すぐに死ぬ予定は全く考えていなかっただろう。何も準備されていなかったので、亡くなった後にいろいろと大変だったのだけど、苦しむ期間が短かったのは良かった。

この病状の患者の経過は想像できた。自分の父が急変したとき、患者の家族というより、看護師である自分を強く感じた。家族ならギリギリまで1分でも長く生きられる治療の可能性を医師にお願いするべきなのか、それとも苦しまずに穏やかに亡くなる方法をとるのか。私は母から決断を任された。私は、見込みのない治療をして苦しませたくないと感じたので延命治療は断った。(輸血・昇圧剤は使ったが、挿管・人工呼吸・心臓マッサージなどは断った。)

看護師として、自分の考えで決断した。後悔していない。

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