豆柴さんの挨拶に感銘をうけた話
きのう、道を歩いていたら、
前から、豆柴さんがやってきた。
豆柴さん、て人の苗字ではなく、
小さい柴犬です。念のため。
わたしは犬も(猫も)好きなので
目の届く範囲にイヌ・ネコがやってくると注目せずにはいられない。
何をしていても中断して、マジマジと見つめてしまう。
車の運転中は別ですが。
そして、連れが誰かいたら、もれなく教えて一緒に見てもらう。
その人がイヌネコ好きかどうかにかかわらず。
ということで、わたしは視野のはじに豆柴さんをキャッチしたとたん、
連れとの会話を中断して、豆柴さんを見つめた。
豆柴さんもわたしたちに気づいていて、わたしが注目するのと同時に、進行方向を変えた。
そのままお互いに真っ直ぐに歩けば、すれちがうはずの方向ではなく、わたしたちをめがけてグイグイと突進してきた。やさしげな飼い主さんを引っぱって。
そして嵐のように、しばしのあいだ歓迎の挨拶。
フンフンっと手の匂いをかがれるうれしさ。ムチムチっとした身体を足に押しつけられる喜び。
後ろ足でたちながらピョンピョンっと飛びつかれる楽しさ。
これがたまらないんだよね。
そして、豆柴さんからの、通りすがりのわたしたちへの挨拶は、ふいに終わった。
ピタリと動きをとめ、わたしたちに背中を向けた。
その背中は、「さっ、もう行きますよ」とばかりに、やさしげな飼い主さんをうながしているようでもあった。
わたしは思わず飼い主さんを見つめ、「あっ、もう挨拶は終わりですね。」と言った。
飼い主さんは、小さく微笑み、「そうみたいですね。」とうなずく。わたしたちは静かに了解しあって、彼女は豆柴さんの後を追い、わたしたちは帰り道にもどった。
*****
「きのう出会った豆柴さんが可愛かった〜」と書きたいところを、ちょっとエッセイ風に?書いてみた。
うん、書いてみながら感じる。
そうそう、可愛かった〜だけじゃ言い足りないのよね。
だから、わたしはこの豆柴さんとの出会いに何を感じたのか、このエッセイ風を書きながら丁寧に自分のカラダ感覚に触れていた。
わたしは、可愛い、もたくさん感じたけれど、何らかの “感銘” も強く受けていた。
豆柴さんが、“前方からきたわたしたちの匂いを確認して挨拶する” という目的をはたす熱心さ夢中さ、やりきったあとの切りかえ感。
いやなんか、わたしも楽しみきった〜、と満足というか。
さらに言葉にしてみると、
あんなふうに、「いま気になったことを迷いなくやってみて、のびのびと思いきり味わう」という、完全に自分軸のブレなさ、での楽しみ方でいいよね、と教えてもらったような。
この姿勢、わたしがこのnoteとどうかかわるか、にヒントをくれていると、ここまで書いてきて思ったな。
そう、自分で書くときも、いろんな方の記事を発見して読んでみて楽しむのも、きのう出会った豆柴さんみたいでいいんだな〜。
そう思うとシンプルにとても楽しいです、noteはじめてみて。
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