大学生自転車日本一周旅を振り返って②:地図を見るだけでは旅はできない

 以前自転車で日本一周をした時の振り返りシリーズ。今回は「地図を見るだけでは旅はできない」について書いていく。

 地球儀を回して 世界百周旅行

 斉藤和義さんの「やさしくなりたい」という曲の冒頭部分の歌詞。ドラマ「家政婦のミタ」の主題歌だったので知っている人も多いだろうこの一節。だが、地球儀をいくら回したって、地球を百周することはおろか、旅の魅力のかけらをも味わわせてはもらえない(この歌詞を批判しているわけでは無いし、そういう意味で書かれたとも思ってはいないけど、印象的な一節だったから引用)。日本一周だって、いくら地図を舐め回すように眺めたって全く経験することはできない。もちろん、心はハッピーになる。行ったことは無いけどテレビやインスタなどで見たことのある景色、その土地の気候や風土を生かした本場の料理、思い浮かべては心が踊り始める。それは、旅でも旅行でも変わらない。実際この自転車日本一周旅に出発する前も、地図を眺めてそこで起きそうなことを想像してはワクワクが止まらなかった。だが、地図を見ただけで旅が出来るなんて考えるのは浅はか。もちろん想像以上の楽しさや美しさが転がっていることは確かだが、一方で予想だにしない困難、例えば事故や盗難などが起こったりするし、歩きや自転車など自分の力で行く場合には想像以上の疲労感に襲われたりすることだってある。

 地図を見るだけで旅ができると錯覚する、それはすなわちプロ野球の試合を見て自分も同じぐらいできると錯覚することと似ている。よく偉そうに選手に文句を言っている人がいるが、その人は決してそこまでできない。できないのなら批判をする資格がない、と言いたいわけではないが、なぜ自分にすらできるか分からないのに平気で文句を言えるのか、同じ人間であるのにその人なら出来ると決めつけられるのか、あまり理解はできない。この旅でも似たようなことがあった。

 出発のときにインスタのストーリーをあげたところ、応援してくれる人たちがメッセージをくれた。ただ、今回行ったのは純粋な日本一周ではなく、移動が困難な北海道と沖縄を除いた45府県旅だった。だから、「せっかくなんだから北海道や沖縄まで行けよ」とよく言われた。そりゃあ、45都府県旅より47都道府県旅のほうがストーリーとしてきれいであることは分かるし、行きたい気持ちが無かったわけではない。だが、二日続けて140㎞ほど漕げば分かると思うが、それだけでも相当な疲労が押し寄せる。正直、北海道に行くことなんて考えられない。それどころか、東北を一周して南下してきたら、北陸に行かずにそのまま関東に戻りたいと思ったほど。しかも、一人で旅をしていたから話し相手もいない分余計にしんどい。そんな事情を何も知らずに、ただ地図を見て距離的に行けそうじゃんと思って簡単に北海道までも行って来いと言われてしまうと、正直イラつく。毎日100㎞以上自転車を漕ぎ、時には山道を越えながら、襲い掛かる疲労感や孤独感を抱えながら同じことが言えるのかと。そもそも同じぐらいの苦労を今現在お前もしているのか?野球の話に戻れば、もし文句を言っている人がどこの誰かもわからないようなチンケな人間ではなく、ある分野でのトップランナーだったり結果を出している人だったらまだわかる。その人たちは成長の方法を心得ているだろうから。また、うまくいかないときの苦しさや焦燥感等も知っているだろう。だから、まだ納得が出来る。DMの場合も、もしその人が人生という旅路の中で苦しみながら必死にもがいているのであれば、まだ無茶を言われるのも納得できる。だが、そんな人間がたくさんいるようには思えない。どうせ鼻くそでもほじりながら偉そうに言ってんだろ(決してその人たちが嫌いと言うわけではありません)。ヒトのやることなすことには期待をして多くを要求する割に、自分には期待をしていないのか戦わない、自分に優しく他人に厳しい人間が多いように思う。個人的にはせめて一歩引いた位置から言ってほしいというか、もうちょっと言い方あるでしょって思っちゃう。まあ、地図だけ見たら行けそうって思っちゃうんだろうな。自分でいけばいいのに。そしたらわかるよ、現実が。

あと、「逆境を楽しめ」っていう言葉もあった。うるせえわ。この文章を打っている本人は悪気はないだろうし励ますつもりで言ったのかもしれないけど、立ちはだかる壁が高ければ高いほどこの言葉にムカついてくる。最初にそれを感じたのは、福島県の夜に福島駅までまだ20㎞ほど残っている状態でパンクしてしまった時。あのときは精神的に参りそうになったし、正直その危険性から死をも覚悟した。激しい孤独感や恐怖に襲われ、冷静さを失いそうになりながらもどうにか自分を立て直して漕ぎ切った。車道に出なけれ車道に出なければいけない場面や軽めの山道に入ったときなんかはほんとに祈る気持ちだった。頼むから車が来ないでくれ、と。そんな時にその言葉が頭の中で再生される。何が逆境を乗り越えろだよ。お前これと同じくらいの逆境に立たされたことあんのか。もし同じ状況に出くわしたとして、それでも同じことを言って乗り越えられるのかと。死と隣り合わせの状態を一人で楽しめるんだったら称賛の拍手を送ってあげるよ。

全体を通して感じたのは、やはりヒトとは偉そうな生き物ということで、すぐ上から目線になるってこと。しかもそこに悪気はないのが厄介。やったこともないくせにやれよって言ったり。必死に頑張った後に「お疲れ」とか「おめでとう」とかも言われたくない。もしかしたら自分の性格に難があるだけなのかもしれないけど、頑張っていない人に頑張ったことを評価されるというのがなんだか癪。当たり障りのない誉め言葉は何の意味も持たない。「これを言っておけばいいんでしょ」っていうテンプレの蔓延。たった一言でこれまでの苦しみは美化されないのだ。必死に頑張ってきた過程と、必死に頑張ってない奴からのねぎらいの一言では全く釣り合わない。せめて、頑張っている姿勢を見せてくれるのならまだ違和感なく受け止められる。その人は地図を眺めるだけの人ではなくちゃんと歩き続けている人だから。こういう人たちの言葉を糧にさらに前に突き進んでいくことが正解の対処法なのかもしれないな。

 ただ文句をつらつらと書きなぐったような文章になってしまって言いたいことが言えていないような気がするから、まとめを。

旅は想像通りにはいかない。たいていはその想像を超えてくる。それは良くも悪くも。だから、旅は楽しい。仮に地図だけ見て楽そうだなと思えるような旅でも、そこには成長のカギが散らばっている。そして、地図を眺めて想像を膨らますのもいいが、想像で膨らんだ気球に乗っかって旅に出よう。好き勝手言う奴らには好き勝手言わせとけ。そいつらは想像の世界に生きている。

一歩踏み出してみる。そこには紛れもない事実のみが横たわっている。苦しいことも、楽しいことも、全部味わい尽くせ。想像の世界を生きない、唯一の今という瞬間を駆け抜ける。

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