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日本では起こらない社会運動について

イギリスでは歴史上まれに見るインフレで生活費や光熱費が高騰する中で公立の教員や公務員が大規模なストライキが行われた。多くの学校や施設が「休み」になった。フランスでも「賃上げ」を求めて127万人も参加するデモが行われた。私のいるここロサンゼルスでも大学のキャンパス内や街で何かと人々がそれぞれの何かを訴えている。
ここで日本のデモに関する年代別のイメージについての表を見て欲しい。

50代・60代がある程度デモを評価している一方で、20代になるにつれ「デモの主張は『社会的』に偏ったものでもある」という見解が広がっている。デモではないにしても、「辺野古の座り込み」に対するひろゆきの冷笑に象徴されるように、一体どうして日本ではここまでデモ、社会運動が嘲笑う対象になってしまうのか、容認できないものなのだろうか。

変化を望まない国

以前の記事に書いたように同性婚の合法化に関して「社会が変わってしまう」と総理が発言したことも含め、既得権益側や国、上が変化を嫌う傾向にある。それと同時に「長いものには巻かれろ」的な風潮があり、その長いモノの周りに小判鮫のようにくっついておこぼれを受けているような層もある。まさに傍観者のように見て見ぬふりするのである。ことなかれ主義的なもの大きく影響しているのかもしれない。お役所仕事の所でよくある断り文句として「前例がないので無理です」とよく聞く。このような状況では「革新」は生まれない。

学校教育

上のような調査の結果はまさに日本の学校教育のたわものと言えるだろう。
「ブラック校則」に代表されるように個性の問わないノーマライズされた制度や、自主性の養われないレクチャースタイルの授業など。ブラック校則に関しては意味のない決まりでも「ならぬものはならぬ」の精神で片付けられてしまいます。英語にも「Rule is rule」という言葉がありますが、皮肉で使われる方が多いです。学校教育に関する批判は他の方もたくさん記事も出てますので見てみてください。そんなナンセンスな校則に不器用にも反抗していたのがヤンキーのように感じます。しかし最近は「ヤンキー」的な要素もだいぶ薄れてきたように感じます。僕の学生の頃は「ごくせん」とか「ルーキーズ」とかが流行った頃でした。現在は「ヤンキー」はダサいイメージで定着して従順な生徒が憧れの対象になるようです。「今日から俺は」もその時代のヤンキーというのがだいぶ現代にアップデートされたように見えます。だいぶコメディーに振り切りました。

従順な日本人

アメリカの大学で日本人のイメージについて聞きました。もちろん私が日本人ということで気を遣って「礼儀正しい」とか「オタク」「時間に性格」とか「オーガナイズされた綺麗好き」とまぁ比較的ポジティブに捉えられるものが多かったです。しかし、踏み込んで聞いてみると、「Submissive」というワードが多く聞こえました。よくも悪くもです。

終わりに

私は今ロサンゼルスに留学してちょっと経ちますが、決して「日本はこれだからだめ、アメリカなんて…」みたいなアメリカを崇拝するようなスタンスは取っていません。たまにこっちにいる日本人でいわゆる「かぶれ」の人に会うと日本はだめみたいな風潮を聞きますが、アメリカだって福祉はなってないし街は汚いし、問題が山だらけです。ただ留学して思うのはアメリカの良いところも知れるし、逆に日本の良いところも知れる、その逆も然りです。ただどれもやはり留学してみないとわかんなかったことだと思います。そんなわけでロサンゼルス留学の様子をYouTubeにも上げてますのでぜひご覧ください!!!
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