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会津を歩く――髹(ぬり)の辻まで――

 夏休みにアップして以来、また時間が空いてしまいました。
もうすっかり秋ですね。寒い。
 さて、「私のおばあちゃんたちの話」も①②で止まっており、近々③をアップする予定でおりますが、昨年横浜歌人会の会報123号に書かせていただいた「町歩き」についての小文を。季節を逃さないうちにね。
 では、どうぞ。
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 歌ができないとき、文章が書けないときには、好きな音楽を聴きながら1~2時間をひたすら歩く。福島県の福島市に住んでいるので、普段は家の近くを流れている阿武隈川沿いを。あるいは、市街地の古い路地を。メモは取らない。写真も撮らない。音楽のリズムに合わせるようにして、ただただ、歩く。それが私の「町歩き」である。

 「町歩き」をしていると、仕事の行き帰りならば慌ただしく通り過ぎてしまう道の途上にも、思いがけないものがあれこれと現れる。現れる、というよりも、私の五感に勝手に飛びこんでくる、と言った方が正確かもしれない。ここ最近では、古い家の庭に昔からある花梨の木がたくさん実をつけているのを見つけた。気づいたのはそれまであまりかいだことのなかったいいにおいがしたからだ。

――ああ、花梨の実ってこんないいにおいがするんだな。

そう思って見上げると、重そうに実をぶら下げた枝の向こうから四十雀の囀りが高く響いてくる。いい声だ。もっとよく聴きたくて、流していた音楽を止め、ワイヤレスイヤホンを外す。つい数日前まで暑かったのに、風がひんやりしてきた。見上げている梢の向こうに、雲が光っている――。
 こんなささやかな一つひとつに喜んだり驚いたりしながら歩いていると、歌ができない、文章が書けない、ときりきりしていた頭とこころがすこしやわらかくなるような気がする。「町歩き」の効能は、歌や文章の素材を集めるというよりも、こうして頭やこころをやわらかくすることにあるのだろう。

 もちろん旅先でも、「町歩き」は愉しい。

 雨女われ完敗の猛暑日を歩みゆくなり髹(ぬり)の辻まで

齋藤芳生『花の渦』

 「髹」とは工芸に使われる漆のこと。「髹の辻」は古くから会津漆器の職人達が多く集まって仕事をしていたという一角で、現在は江戸時代から続く漆器店によって当時の建物を改装した伝承館が運営されている。この日はとても暑く、汗を拭きながら、日陰を探しながらの「町歩き」だったのだが、かねてより訪ねたいと思っていたこの「髹の辻」まで歩いてゆくと、一歩ずつ空気が涼しくなってゆくような気がした。やはり「町歩き」から、この歌はできたのだった。今から数年前、戊辰戦争(明治維新)一五〇周年を記念したとある企画で会津若松市を訪れた時のことである。

 ご存じの通り会津若松市は戊辰戦争の激戦地で、新島八重を描いたNHKの大河ドラマ「八重の桜」の舞台ともなった。会津若松は海から遠い盆地であり、冬には雪が多い。この気候風土が「会津塗」と呼ばれる美しい伝統工芸を産んだわけだが、明治という時代と共に港から多くの人や物が行き交い発展してきた横浜とは、何から何まで対照的な町であると思う。戊辰戦争で破れた後、会津藩士たちはこの町を去って行った。その「戦後」は壮絶だった。私が高校生の頃までは「会津のおじいさん、おばあさんが<あの戦争>と言ったら、それは第二次世界大戦ではなく戊辰戦争のことだよ」と半ば真剣に言われていたし、大学を卒業して小学校の教員をしていたときには、ある同僚の結婚相手が山口県出身だというので「お前、長州の人間と結婚して本当に大丈夫なのか」と校長から心配された、という話も聴いた。同僚は会津若松の隣、会津高田の出身であった。かく言う私の母方の実家も会津にほど近い集落にあって、すぐ裏手は戊辰戦争当時あの白虎隊が詰めていたという本陣跡である。今はその家も立て替えられてしまったが、母が子どもの頃には「西軍の兵隊が家に踏み込んできて蹴りこわした」という戸板がそのまま残っていたという。どれも冗談や笑い話ではないのだ。それほど凄惨で理不尽な戦争であり、「戦後」だったのだ。だからこそ人々は、「会津塗」という伝統工芸を守り、様々な技術や美意識を受け継ぎ、育ててきたのかもしれない。

 そんなことを考えながら伝承館の中に展示されている見事な漆器の数々を見つめていると、彩りはどれも鮮やかで、しかしどこか憂いを帯びているようにも思われた。隣接する店舗には昔ながらの椀や文箱だけではなく、現代の生活様式に合わせた様々な製品が並んでいる。デザインも色も非常にスタイリッシュだが、やはり漆器ならではのにおいがする。そして、陶器やプラスチック製の器とはまったく違う光沢と軽さ、しっとりとした手触りがある。私は自分の両手にちょうどよい大きさのフリーカップをひとつ求めた。その朱色はシンプルだが強く、真夏の熱い太陽そのもののようだった。フリーカップはこうして原稿を書いている今も、鮮やかな朱色のままに私の傍らにある。

 今年(註:2022年)の九月半ば、久しぶりにふたたび「髹の辻」まで歩いた。伝承館の前には咲きはじめた秋桜がゆっくりと揺れていた。漆器のにおいと巧みな造形をしばらく楽しんだ後は、観光客で賑わう七日町通りまでゆっくりと歩く。この「町歩き」もやはりメモは取らない。写真も撮らない。音楽も止めた。ただただ、歩く。会津の町にあの日のような暑さはもうなく、既に傾きかけた太陽が、黄金色に輝いていた。

横浜短歌会会報 第123号 2022年12月24日発行

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