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創作短編『風に吹かれて』

商品部に、水野という30代の男がいて、遊んでいるような雰囲気で仕事をしている。

服装も、スーツよりジーンズの日が多い。
角刈りに丸めがね。
冗談を言って、周りを笑わせてばかりいる。
雑学好きで、

「マーフィーの法則、知ってる?
じゃあ、バタフライ効果は?
知らんの~?」

メーカーや問屋さんたちとの商談は、そんな雑談から始めていた。

彼は、会社のトップバイヤーである。
会社と言うのは、食品スーパー。県内に9店あり、ここは本社。


わたし、伊那 桂子 ( いな けいこ )は、2年前25歳で入社して、ずっと店で働いてきた。

この4月、本社事務所に異動になり、販促物( 店用のポップなど )を作っている。

店にいたとき、スタッフが
「本社の水野さんが、相談に乗ってくれるよ」
と話しているのを耳にしていた。

まだ会ったことのないその頃、紳士的な優しそうな人を、想像していた。

でも、目の前の彼は、女子社員にちょっかいをかけて、大口を開けて笑っている。
( なんか軽薄そう )
と、しばらくは距離を置いていた。

その見方が変わったのは、ある日の会議でのこと。
各部門の長が集まっている部屋から、水野さんの怒っている声が聞こえた。

あとから聞いた話によると、店舗からの改善要求が議題になった時、社長に反論したらしい。

事なかれ主義の人が多いなか、現場の人たちのために、意見をする彼を、はじめて格好良いと思った。


本社近くの店で、副店長をしている女の子と、仲良くなった。
わたしより入社は早いけど、同い年で気が合う。

黒くて長い髪を後ろで一本に結んでいる、笑顔の素敵な女の子だ。

みんなでカラオケに行くと、百合子は酔って、結んでいた髪をほどき、誰にでもしなだれかかる。

そんな、だらしのないところは目に余るが、なぜか放っておけない、不思議な魅力をもつ。

百合子は、各店へ商品の配送をしている、大竹くんが好き。

筋肉が盛り上がった腕は、半袖のところで日焼けしている。
顔は可愛いかんじで、野球の大谷選手を思わせる、誠実そうな男の子だ。

配送は物流センターだが、販促物を取りに、週に1回本社に来る。

ひとつ年下、弟みたいで可愛い。
百合子の好きな人、に興味があり、積極的に話しかけた。

ある日の仕事終わり、自分の車の置いてある駐車場へ歩いていると、大竹くんに声をかけられた。

嫌な予感・・・
それほど嫌じゃない予感がした。

大竹くんは、
「 伊那さんのことが、好きです」
と言った。

困ったな。
彼を恋の相手として見ていない。
あくまでも
『 百合子の好きな人 』だ。

そのとき沸いた感情を、なんと言ったらいいのだろうか。
少しだけ、この状況を楽しみたくなった。
返事を延ばし、思わせぶりな態度をとった。

でも、わたしが好きなのは、商品部の水野さん。
自分の気持ちが、はっきりした。

だから大竹くんのことは、なんとも思っていないと、
交際も断ったよと、しばらくしてから百合子に話した。

その時の百合子の顔が、一瞬悲しそうに見えた。



時は巡り、水野さんとわたしはつき合い、結婚した。
わたしは退職して、専業主婦になった。

引っ越しの片付けが落ち着いたころ、会社の人たちが、新居に集まることになった。

男の人ばかり5人、ビールで乾杯することになりそうだったので、メイン料理は餃子に決める。

その夜、
リビングで話が盛り上がっている間、キッチンで、ひたすら餃子を作り続けていた。

アルコールの入った彼らは、あっという間にたいらげて、次の皿を待っていた。
わたしは汗だくで、孤軍奮闘していた。

水野と同じ商品部の坂本くんが、空いたお皿を持って、キッチンに来た。

坂本くんは、水野が来るまで、商品部のトップだった人だ。
今夜は運転手の役割なので、麦茶しか飲んでいない。

わたしの横に立ち、他の人たちに背中を向けて、話し始めた。

「今だから、言えるんだけど」
と前置きをして、

「水野さんはずっと、百合ちゃんのことが好きだったんだよ。」

と言った。

「伊那さんが本社に来る少し前に、告白して振られた・・・」

汗が、すっと引いた。

「あっ、そうなんですか? 知りませんでしたわー」
と、餃子の皮に水をつけながら、言った。

それからの料理は、どうやって作ったのか覚えていない。
「ごちそうさまー。おやすみなさーい」
という声が聞こえたときには
汚れたエプロンを付けたまま、玄関に立っていた。



その日から、百合子の存在が心配になった。
水野は結婚したんだから、彼女へ行くわけがない。
そう、自分に言いきかせる。

そのうち、彼の帰りが遅くなる日が増えた。
同じ会社にいたから、そういう事情もわかる。
不安だけど、妻らしく理解しようと努める。

キッチンをきれいにしておくと、家族運が上がる。
とテレビ番組で誰かが言った。
ステンレスを磨いて、余計な事は考えないようにする。

ある日、彼が忘れて置いていった携帯電話に

『 今日は楽しかった。また誘ってください 』

という百合子からのメッセージを見てしまった。

酔って、しなだれかかる百合子の瞳を、熱く見つめる彼。
そんな映像が、脳裏をかすめる。

いやいや、きっと、みんなで食事に行ったんだろう。
でも、わたしに対する当てつけのような、文面にもとれる。

そもそも、夫婦でも、携帯を見てはいけなかった。
妄想と疑念と不安と反省が、頭の中をぐるぐる回って苦しい。

決定的だったのは、彼の寝言だ。
百合子の、名前を、呼んだ。

夫が浮気? 
いや、浮気じゃない。
あちらが本気で、わたしとは、彼女を諦めるための結婚だった。

彼は、きっと、わたしを愛そうとした。
でも、ずっと好きだった百合子の誘惑に、抗えなかった。

いやいや、
百合子は友だちの夫に誘惑なんて、しないだろう。

でも、わたしの優越感に感づいていたら?
大竹君への態度を、怒っているとしたら?

そもそも百合子は、水野に告白されたことがあることを、黙っていた。
水野も、黙っていた。

それなのに、なぜ坂本くんは、わたしに知らせたの・・・。

『 バタフライ効果 』

ブラジルで発生した蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を引き起こす。
( 力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象 )

本社へ異動にならなければ。
水野を好きにならなければ。

大竹くんの気持ちを、
百合子の気持ちを、
ちゃんと、思いやれていれば・・・。

風が、嵐が吹き止まない。



暗いトンネルに、光が見えたのは、それから一か月が過ぎたころ。

水野は、はじめて出会った、こころから尊敬できる人。
そして、彼を信じた。
それは紛れもない、わたしの真実だ。

蝶の羽ばたきが、竜巻に変化していくのなら
風に吹かれて、人生が変わっていくのなら

わたしが、蝶になればいい。

「 だいじょうぶだよ。明るいほうへ行こうね 」

お腹に手をあてて、優しく話しかけた。


            おわり


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