創作短編『風に吹かれて』
商品部に、水野という30代の男がいて、遊んでいるような雰囲気で仕事をしている。
服装も、スーツよりジーンズの日が多い。
角刈りに丸めがね。
冗談を言って、周りを笑わせてばかりいる。
雑学好きで、
「マーフィーの法則、知ってる?
じゃあ、バタフライ効果は?
知らんの~?」
メーカーや問屋さんたちとの商談は、そんな雑談から始めていた。
彼は、会社のトップバイヤーである。
会社と言うのは、食品スーパー。県内に9店あり、ここは本社。
わたし、伊那 桂子 ( いな けいこ )は、2年前25歳で入社して、ずっと店で働いてきた。
この4月、本社事務所に異動になり、販促物( 店用のポップなど )を作っている。
店にいたとき、スタッフが
「本社の水野さんが、相談に乗ってくれるよ」
と話しているのを耳にしていた。
まだ会ったことのないその頃、紳士的な優しそうな人を、想像していた。
でも、目の前の彼は、女子社員にちょっかいをかけて、大口を開けて笑っている。
( なんか軽薄そう )
と、しばらくは距離を置いていた。
その見方が変わったのは、ある日の会議でのこと。
各部門の長が集まっている部屋から、水野さんの怒っている声が聞こえた。
あとから聞いた話によると、店舗からの改善要求が議題になった時、社長に反論したらしい。
事なかれ主義の人が多いなか、現場の人たちのために、意見をする彼を、はじめて格好良いと思った。
◇
本社近くの店で、副店長をしている女の子と、仲良くなった。
わたしより入社は早いけど、同い年で気が合う。
黒くて長い髪を後ろで一本に結んでいる、笑顔の素敵な女の子だ。
みんなでカラオケに行くと、百合子は酔って、結んでいた髪をほどき、誰にでもしなだれかかる。
そんな、だらしのないところは目に余るが、なぜか放っておけない、不思議な魅力をもつ。
百合子は、各店へ商品の配送をしている、大竹くんが好き。
筋肉が盛り上がった腕は、半袖のところで日焼けしている。
顔は可愛いかんじで、野球の大谷選手を思わせる、誠実そうな男の子だ。
配送は物流センターだが、販促物を取りに、週に1回本社に来る。
ひとつ年下、弟みたいで可愛い。
百合子の好きな人、に興味があり、積極的に話しかけた。
ある日の仕事終わり、自分の車の置いてある駐車場へ歩いていると、大竹くんに声をかけられた。
嫌な予感・・・
それほど嫌じゃない予感がした。
大竹くんは、
「 伊那さんのことが、好きです」
と言った。
困ったな。
彼を恋の相手として見ていない。
あくまでも
『 百合子の好きな人 』だ。
そのとき沸いた感情を、なんと言ったらいいのだろうか。
少しだけ、この状況を楽しみたくなった。
返事を延ばし、思わせぶりな態度をとった。
でも、わたしが好きなのは、商品部の水野さん。
自分の気持ちが、はっきりした。
だから大竹くんのことは、なんとも思っていないと、
交際も断ったよと、しばらくしてから百合子に話した。
その時の百合子の顔が、一瞬悲しそうに見えた。
◇
時は巡り、水野さんとわたしはつき合い、結婚した。
わたしは退職して、専業主婦になった。
引っ越しの片付けが落ち着いたころ、会社の人たちが、新居に集まることになった。
男の人ばかり5人、ビールで乾杯することになりそうだったので、メイン料理は餃子に決める。
その夜、
リビングで話が盛り上がっている間、キッチンで、ひたすら餃子を作り続けていた。
アルコールの入った彼らは、あっという間にたいらげて、次の皿を待っていた。
わたしは汗だくで、孤軍奮闘していた。
水野と同じ商品部の坂本くんが、空いたお皿を持って、キッチンに来た。
坂本くんは、水野が来るまで、商品部のトップだった人だ。
今夜は運転手の役割なので、麦茶しか飲んでいない。
わたしの横に立ち、他の人たちに背中を向けて、話し始めた。
「今だから、言えるんだけど」
と前置きをして、
「水野さんはずっと、百合ちゃんのことが好きだったんだよ。」
と言った。
「伊那さんが本社に来る少し前に、告白して振られた・・・」
汗が、すっと引いた。
「あっ、そうなんですか? 知りませんでしたわー」
と、餃子の皮に水をつけながら、言った。
それからの料理は、どうやって作ったのか覚えていない。
「ごちそうさまー。おやすみなさーい」
という声が聞こえたときには
汚れたエプロンを付けたまま、玄関に立っていた。
◇
その日から、百合子の存在が心配になった。
水野は結婚したんだから、彼女へ行くわけがない。
そう、自分に言いきかせる。
そのうち、彼の帰りが遅くなる日が増えた。
同じ会社にいたから、そういう事情もわかる。
不安だけど、妻らしく理解しようと努める。
キッチンをきれいにしておくと、家族運が上がる。
とテレビ番組で誰かが言った。
ステンレスを磨いて、余計な事は考えないようにする。
ある日、彼が忘れて置いていった携帯電話に
『 今日は楽しかった。また誘ってください 』
という百合子からのメッセージを見てしまった。
酔って、しなだれかかる百合子の瞳を、熱く見つめる彼。
そんな映像が、脳裏をかすめる。
いやいや、きっと、みんなで食事に行ったんだろう。
でも、わたしに対する当てつけのような、文面にもとれる。
そもそも、夫婦でも、携帯を見てはいけなかった。
妄想と疑念と不安と反省が、頭の中をぐるぐる回って苦しい。
決定的だったのは、彼の寝言だ。
百合子の、名前を、呼んだ。
夫が浮気?
いや、浮気じゃない。
あちらが本気で、わたしとは、彼女を諦めるための結婚だった。
彼は、きっと、わたしを愛そうとした。
でも、ずっと好きだった百合子の誘惑に、抗えなかった。
いやいや、
百合子は友だちの夫に誘惑なんて、しないだろう。
でも、わたしの優越感に感づいていたら?
大竹君への態度を、怒っているとしたら?
そもそも百合子は、水野に告白されたことがあることを、黙っていた。
水野も、黙っていた。
それなのに、なぜ坂本くんは、わたしに知らせたの・・・。
『 バタフライ効果 』
ブラジルで発生した蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を引き起こす。
( 力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象 )
本社へ異動にならなければ。
水野を好きにならなければ。
大竹くんの気持ちを、
百合子の気持ちを、
ちゃんと、思いやれていれば・・・。
風が、嵐が吹き止まない。
◇
暗いトンネルに、光が見えたのは、それから一か月が過ぎたころ。
水野は、はじめて出会った、こころから尊敬できる人。
そして、彼を信じた。
それは紛れもない、わたしの真実だ。
蝶の羽ばたきが、竜巻に変化していくのなら
風に吹かれて、人生が変わっていくのなら
わたしが、蝶になればいい。
「 だいじょうぶだよ。明るいほうへ行こうね 」
お腹に手をあてて、優しく話しかけた。
おわり
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