1番の悪を考えることが全て
私が北田監督のアジア犬肉紀行を観たのは2,3年前のことです。衆議院議員会館での上映会に参加しました。2時間を超える長編ドキュメンタリー映画です。
ドキュメンタリー映画を観るのは苦痛です。娯楽映画とは違い、それなりの覚悟が必要です。ですが、ドキュメンタリー映画を制作した人、ドキュメンタリー映画の題材となる人や動物や自然に対して自分ができることは真面目に観ることだけなのです。
映画アジア犬肉紀行は犬肉産業についてのドキュメンタリーです。この映画を観た人は少なくとも犬肉を食べる文化の是非くらいは考えるべきです。
中国の犬肉祭をめぐり、今年も国内外から反対の声が沸き上がり様々なメディアがそれを取り上げるようになりました。地元の女性は「なぜ犬はだめ? 豚は、牛は? 考えを押しつけないで」と憤りを見せます。犬鍋をつつく女性は「これは昔からの食習慣。日本人が鯨を食べるのと同じようなものよ」と言います。そもそも文化とはなにかという問いも映画から生まれてきます。
アジア犬肉紀行のAmazonのレビューを引用します。
肉を食わない人々にとってはあり得ない考えかもしれませんが、これは最もポピュラーな考えです。人間が動物を食べることは普通ですし、動物を食べるということが動物を殺すということだと冷静に考えられる人です。
私はこの方と180度反対の意見を持っています。犬の飼育環境の善し悪しではなく、犬が食用にされてること自体が問題だと思っています。映画の中には、食用の犬たちが劣悪な環境下で生きていることもきちんと映像で残されています。それも人間が生み出した悪の中の一つです。ですが、本質を問うならば、人間が生み出した悪の根源ー1番の悪とは?ーを考える必要があります。
レビューの人は「犬肉を食うことは他国の文化であり、それを何も知らない海外の人が批判するのは余計なお世話だ。悪いのは食用の犬の飼育環境だ。」という意見ですが、本当に一番の悪は犬の飼育環境なのでしょうか。
そして、文化(たとえその中身がどんなものであっても)と呼ばれるものは尊重に値するすごいものなのでしょうか?
一応文化の定義も見ておきましょう...
辞書の悪いところはとにかく意味が難しく書かれていることです。例えば「ぴえん」「好きぴ」といった若者言葉も文化の一つです。若い人たちがSNSという社会の中の構成員として獲得する感情を端的に表すために用いられる振る舞いだからです。
ブタを不潔なものとみなしたり、太った人を"ブタ"と表現する振る舞いも社会を構成する人々の間でしばしば見られるものなのでこれも文化と言うこともできます。
この映画の犬肉食文化とは伝統的な行為という意味での文化です。犬肉を食べることは流行の中で生まれた振る舞いではなく、代々続いている振る舞いだということです。
私は文化の伝統が100年続こうがその文化の中身を無視しして尊重することはできませんし、デメリットしかない文化はすぐにでも廃れるべきだと思っています。"奴隷文化"を伝統として尊重したことは一度もありませんし、奴隷制度廃止は文化を奪う行為だとは思いません。
犬を食うことは明らかに先進国において相応しくない振る舞いだと思います。ラブラドールをペットとして迎えることができる人が、ラブラドールと同じ種族の動物が苦しみながら殺されて食べられる文化を尊重できるのも不思議に思います。
"殴れば殴るほど美味しくなる"という言い伝えーこれも伝統と呼ぶのだろうかーも尊重できるものではありません。一体どう考えたら尊重に値するのか教えて欲しいです。
後世に語り継ぐに値するものが伝統です。人から人へ語り継がれるときは必ず物語性を持って語られます。それは人は感動(心が動く、感じて動く)が好きだからです。人は物語に心を動かされます。
犬を殴ったら美味くなるという伝統をどうやったら後世に語り継ぐことができるのでしょうか。そこに感動を作り出すことは困難です。
体温の高い恒温動物を食べること、それを殴れば殴るほど美味しくなるという文化には様々な悪で構成された大罪です。
犬の飼育環境について問題提起するのであればなぜ犬を殴れば殴るほど美味しくなるという伝統について問題提起をしないのでしょうか。人様の文化には口出しできないのでしょうか?
映画の中には、食用の犬たちを飼育している一般家庭の人がペットとして別に犬を飼っている光景が流れてきます。「食用の犬とウチの犬は別だ。」と娘の前で言い放つ父親。犬を食べることが文化と呼ばれ、犬を家族に迎え入れることはなんなのだろうか?それが同時に起きている状況をどう解釈すれば良いのだろうか?
捨てられて可哀想な犬を命を無駄にしないためにも仕方なく殺すことを許したとしても問題は一つも解決してないということには賛同頂けるのだろうか。
放棄された命が更に殺戮されるという悪の連鎖を、「命を無駄にしないという考えは悪くないのでは?」と言ってるようでは国は亡国へと進みます。
1番の悪は犬肉を食べることであり、犬を食い物と見なす文化を持つ社会の中に、犬を家族として迎え入れることができる文化も存在する矛盾こそ悪の根源ではないでしょうか。
レビューの方はどんな扱いを受けたかが大事と言っていますが、犬たちは最終的に殺されたという扱いを受けるのですがそれに関してはやはり食い物だからそこは考えても無駄となるのでしょうか。それをラブラドールを撫でながら言われるとキツいものがあります。
このドキュメンタリー映画とこのレビューのおかげで文化と1番の悪について考える機会を与えられました。
皆さんは1番の悪はなんだと思いますか。
日本にはたくさんの伝統と文化があります。日本の文化はその歴史が長ければ長いほど尊重に値する内容になっています。
逆に歴史が短いものほど文化に値しない低俗な文化が多いです。哺乳類の鯨やイルカを殺しに船を出す振る舞いは歴史が浅く、低俗な文化です。世界中から激しく批判されてすぐにでも廃れるべきだと思います。サーカスや動物園も他国から輸入した文化ですが、歴史が浅く低俗な文化と言えます。動物園は絶滅危惧種を救うという名目で行っているので動物園は動物の1番の味方だと思っている方も多いです。しかし、本当に絶滅が危惧されている動物を救うのであれば、その動物がどの環境で生きているかを無視することは絶対にできないはずです。シロクマが絶滅の危機に瀕しているのになぜシロクマを北極から暑すぎる日本に移動させるのか?本当に絶滅から救いたいと思うのであれば、動物が絶滅する本当の原因を叫びたくなりませんか?
動物園が「畜産のせいで環境が破壊されてる」とか「パーム油の搾取のせいでオランウータンが殺されてる」といったことを一度でも訴えたでしょうか?
動物のことを考える=環境のことを考える
環境は動物の一部です。
人間も環境の一部です。
環境をバカにすることは動物の命を粗末にすることと同じです。
私たちはどこまでが"自分"だと思っていますか?
自分の家族、自分の家、自分の住む地域、どこまでが自分を定義するものでしょうか。
環境も自分の一部だと考えたことはありますか。
そして常に最善を選択することは常に最悪を考えることでもあります。
犬を飼っている人が「動物をペットにすることはどちらかというと良いことではない」と発言する背景には、常に最善を選択し続け、常に何が1番悪なのかを考え続ける姿勢があります。
子育ても勉強も人生も常に何が1番の悪(最悪)なのか考えることはとても大事だと思います。
cover photo Michi Ishijima
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