なぜなら、が なぜ、に変わった瞬間

どうして病気は私を選んだの?

10歳の時に出会った
ドラマ 1リットルの涙でのセリフ。

私の、私が私として生まれた理由を
探す旅が始まってしまった瞬間。

(そして頭の中にある感情や言葉たちを
文字として残すことの価値、
みたいなものに気づいた瞬間でもある)

"私"だからこの身体で生まれたんだ、と
私として生まれたから"この身体"なんだ、と
漠然と思って生きていた10年間。

一瞬にして
(ポジティブでもネガティブでもなく)
病気に
選ばれた身、選ばれてしまった身、
そんな選択肢が広がってしまったその日。

(becauseがwhyになったイメージ。
※果たしてそんな世界線はあるのか?)

冒頭のセリフを耳にした瞬間から私は、
私が生きる人生の中で、
"どうして"の部分を見つけなくてはならなくなった。

ただ、自問自答というのは
問うのは自分、答えるのも自分、
という
ある意味地獄であり永遠の作業であり
さらには自分で導き出した答えが、
必ずしも正解とは限らない世界。

ああ、頭が痛くなる

あの時、あのセリフを聞かなければ。
なんてことは思わなかったけれど。

そうして私はその日から約10年、
ひとり自分の中だけで
問い、答え、
答え合わせをしてみては
ペケをつけ、
また悩み、
ペケがサンカクになり
また考え直し、
夢(手段)にたどり着いたというわけ。

そうしてそれが正解だと疑わないまま
違和感を覚えても気づかないふりをしたまま
走っていた矢先、
10年かかって導き出した正解が
必ずしも永遠の正解だとは限らないことを知った。
躓きそうになりながらも
また見つかったもの。
それは、
私1人で見つけ、自分の中だけで完結していた
あの時とは違う、
たくさん、たくさんの人と出会って生まれた夢。

今を見ず、未来ばかり見ていたあの頃。
今、から早く逃げ出したかった。
今、を早く終わらそうとしていた。
今、が未来だと気づかずに
一刻も早く過去にしようとした。
今、は過去であり未来であり今だった。

今ここにある正解が
10年後の正解とは限らないことは既に知っている。
知っているから、変化は怖くない。
今が大切なことを知っている。

どうして病気は私を選んだの、かは
私にはまだ分からないし
これから先、分かる日が来ることも分からない。

ただ
せっかく人と違う身体で生まれたからには
この身体を使って
私が生きていることを証明したい。

今から生まれてくる小人たちへ、
たくさんの選択肢を与えたい。

それが今、の私の気持ち。


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