禁止事項

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・マット運動
・スキー教室
・バレーボール
・水泳
・柔道

小学生の頃の授業でできなかったこと。
ほとんどが自分の身体を使って行うこと。
制限もなくできているクラスのみんなが眩しかった。
みんなの首に流れる汗はキラキラと輝いていた。
何度も挑戦して失敗する度、悔しい顔ができるみんなが羨ましかった。

特にスキー教室の、味のしないチョコレートの味は今でも忘れない。それはまた、残したいと思う。

そうして次第に私の血液の中に流れ込む、
あれはダメ、これもダメ、それもやらない方がいいかも
という呪文のような言葉たち。
その言葉に縛られ、聞く前に諦めたことも多かった。
ダンス教室もそのひとつ。

・ピアノ
・習字

だから私は鍵盤を弾いた。
今、キーボードを打って言葉を生み出している指で。
だから私は字を書いた。
キーボードで打つには見えない、美しい字を残すために。

それでも私は指を動かすだけでは満たされることなく
自分以外になりたいというドロリ。とした感情を
無意識に、自分でも気づかずに、抱えていた。
何をしていても心は動かなかった。

そんな私が中学生になった時にタイトスカートが流行った。
履きたかった。履けなかった。
サイズの問題ではない。

履きたいように、履けなかった。

これが私とファッションの出逢いだった。
今までは禁止事項を突きつけられても
従うしかなかった私は
その悔しさと屈辱に気づかないふりをして避けた。
だから私の心はがドロリ。としたもので溢れていた。

だけど、タイトスカートと出会った時、今までと違ったのは
"このままにしたくない"、
"できないままにしたくない"
という感情が生まれたことだった。
多分はじめて。
初めて、抗いたくなった。
なにか別の道がないか他の方法がないか、探したくなった。
負の感情を昇華させたくなった。

そして考えた。

意志を持つ前から禁止事項を突きつけられ
まるで血液の中にダメという言葉が流れているような
言葉では表せられない、
だけど気持ちの悪いことだけはわかるもので支配していた私。
人を羨ましいという気持ちが常に消えなかった私。

ファッションに出逢ってから
ファッションは私ひとりで完結しなくてもいいことに気づいた。
私ができなくったって、
私が好きなファッションを、私ができなくったって、
私以外の誰かが叶えてくれる場所がある事を知った。

ファッションは着るだけでは完成しない。
着たいように着る。
意思表示だ。
60年代に始まった女性解放運動が始まり、ミニスカートが流行ったように。
70年代にヒッピーが生まれたように。

そんなファッションに憧れた。
ファッションなら、私を昇華してくれると信じれた。

禁止事項が出逢わせてくれた
スタイリスト、という夢に出逢うお話。

まあ、
出逢ったからといって急にセンスが伴うかというのはまた別のお話だけど。

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