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行動できなかった後悔

私の30年間の想い、まだもう少し続くので記録に残しておきたい。

心に秘めていたもうひとつの夢

“青年海外協力隊でOTとして活動すること”

 日本人として生まれ、日本で育つと平和ボケという言葉が頭をよぎる。銃声が聞こえても、真っ先に頭を守りしゃがむことが出来ないでいる。
 小学生の頃、図書室の地理や世界史的なコーナーが好きで、大きな写真集や本をペラペラとめくっては、『こんな風景があるんだ、いつか行ってみたい』なんて眺めていたのを覚えてる。世界のことをしれば知るほど、この目で見てみたい想いが強くなった。興味があると多方面から色々な情報が入ってくる。
●お腹いっぱいにご飯が食べられない
●地面には地雷が埋まっていて外で元気いっぱい走り回れない
●地雷を踏んで足を無くしてしまう
●怪我や感染症などの病気にかかっても病院に行って治療を受けられない
●学校に通えない
●断水や停電で飲水や入浴ができない
●安心して睡眠をとることができないetc..

世界のどこかでは、こういったことが当たり前に起きていると考えると衝撃が走った。
当時私にできることは微々たるもので、募金活動や紛争地域に住む子供たちに物資を運ぶための活動しかできなかった・・・

 留学や国際的な活動は縁もゆかりも無く、胸に秘めたまま一般的な進路で高校や専門学校へと進んでいった。その頃は目の前のことに精一杯で、海外で活動したいという気持ちは薄れていたと思う。
 社会人になりOTとして働きはじめた頃、飲食店やふらっと立ち寄ったお店の壁に貼られていたポスターが気になった。
それが【  JICA 青年海外協力隊  】だった。
私がしたいことってこれかもしれない。と、思うようになった。
近い未来、協力隊員としてOTの知識や技術を広めたい・・でもまだ知識と技術が足りない・・今は経験を積むことに専念しよう。


大切な道具


欲張りな私

 仕事もプライベートも充実させたいと強く思い、途中までは良かった・・
 仕事は回復期病院から更に経験を積むために総合病院に転籍(寿退社することになる)。おかげでOTとしては全ての病床期と外来リハを経験。JICA青年海外協力隊の応募のためにも、まずは説明会に参加する等着実に進めていた。
 プライベートでは入籍・新婚旅行にも行って、移住後は挙式やマイホームも手に入れた。あとは時期をみて子供を授かれたら嬉しい。
 夫には青年海外協力隊の応募をいつかしたいと前々から伝えていて、私の気持ちを尊重してくれていた。

後悔と予期せぬこと

 JICAの説明会を受ける等行動していた矢先のこと、コロナウイルスが世界的に拡大してしまった。

『もたもたせず、説明会を受けたらすぐに応募したらよかった・・・!!』
当時の自分を殴ってやりたい。

 世界的にもパニック状態に陥り、色々な会社にも大打撃を与えるコロナウイルス。タイミングを逃し、私の計画が180度狂い始めた。こればかりは仕方がない、一旦プライベートを優先しよう。そんな想いから妊活を開始したが、なかなか授からなかった。授からない理由が少しでも知りたくて、様々な検査をした。予想外の結果を知らされる。不妊の直接的な理由ではなさそうだが、これも要因のひとつかもしれない『潜在性甲状腺機能低下症』という診断名。甲状腺?今まで言われたことがなかったから信じられなかった。子供を授かりたいのなら、治療を継続したほうがいいという見解。私の計画が360°狂った。
(※不妊治療のいろいろを後日載せようと思うが、検査をして婦人科系疾患がいくつが浮上する笑)
そしてすぐ頭をよぎった。健康じゃないとJICAに行けない。応募したとしても健康診断で引っかかるんじゃないか?応募してもいないのに、そんなことを思って結構落ち込んだ。

何かを優先したら、何かを諦めなきゃいけないのか

 身の回りにJICAで活動した先輩・友人・担当した患者様や親戚を含めると数人いる。活動内容や現地での生活の話を聞くと、私の心をワクワクさせてくれて、本当に楽しい時間だった。開発途上国での生活は不自由さもある、でも新しい刺激をもらい自分を成長させてくれる、若い頃に経験できたら今後の人生に大きく影響を与えると思う。

 数年の間脅威をふるったCOVID-19が少しずつ落ち着いて、飛行機も世界を行き来し始めた頃。JICAも活動再開・隊員募集の記事が再びで始めたのだ。
  『OTとして外国で活動したい。』
改めて私の本心はそこにあったんだと確信。
しかし、ちょうど病院に通い続けて、治療も良いところまできていたのですごく迷っていた。すごくすごく迷って、夫と何度も話し合い、プライベートを優先することにした。治療と子供を授かることに重きを置いた。

 青年海外協力隊は諦めたわけではない。けれど、JICAも応募して面接に合格したとしても、健康診断の結果で不合格になるんだろう。受験すらしてないのにそんなことを勝手に思い、現状を変えることも怖かった。受験しない理由を探せば探すほど、言い訳のような変な理由が溢れ返るように浮かんだ。
いつまでも《夢》みていていいよね?

それでも海外に執着する

 病気がわかっても、やっぱり諦められない海外での生活。単純に英語が話せるようになりたいと思い、JICAと平行して海外留学やワーホリも調べていた。資料請求のボタンをポチッと押したら、以降頻繁に電話や資料が届いてしまい、鬱陶しくなって距離をおいたのだ。(笑)
 気付いた時には29-30歳。通院もあり仕事も転職したばかり・・年齢制限があるワーホリも断念せざる負えなくなった。
 コロナ前からJICA-ワーホリ-海外留学をエンドレスで調べて、説明会や資料請求、実際に経験した方々の経験談ばかりを聞いていたものの、私自身踏ん切りがつかなかったのだ。

心機一転!
夫婦でワクワクすることをしよう


・OTとして海外活動出来るか確証がない
・ワーホリも年齢ギリギリで行けないかも

今思うと、夫がいるのにこれまで自分のことしか考えられていなかった。夫婦なのに私個人の考えでは、少し違うのではないかと感じ始めていた。・・そうだ。

《    一 緒 に 海 外 旅 行 し よ う        》

昨年、ふと夫を誘ってみた。この方法が一番ベストだと思った。このまま日本で通院できるし、治療を継続したら最愛の夫との間に子供も授かるかもしれない。
 コロナも少しずつ明けたことだし、今まで見たことない景色や異文化に触れ、様々な人間と出会い、多方面から刺激を感じられる海外旅行をいっぱいしていきたい。
夫に私の気持ちを伝えたら、快くOKとの返事をくれた。(笑)
 様々な葛藤から開放されたかのように、あまり難しく考えず過ごせるようになった。夫婦でワクワクする人生を送ることにシフトチェンジすることにした。


こうして始まった夫婦の海外旅行。
次回は旅の記録を載せる予定!

にんじん

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