ヒグラシの夕暮れ
(約1,000字)
手を眺めると、夏の終わりに蜩(ヒグラシ)の鳴く、静かな夕暮れを思い浮かべる
「こんなに白くてモミジみたいな手じゃあねぇ。かわいい柔らかい手だねぇ」
私はピアノを習っていたが、手が小さいから
1オクターブの鍵盤には親指から小指が届くはずもなく、早くピアノ教室をやめることばかり考えていた
おばあちゃんは農家の生まれで、小さい身体で
も日に焼けて小麦色の肌をしていた
夏の終わりには、あずき豆の収穫が終わって、そのサヤはからからに乾燥して、中身の豆たちは、食べてもらおうと乾いた音で私たちに成長していることを知らせていた
あずき豆のサヤは枯れ葉色になり、おばあちゃんは一つずつを大事に手に取っては真ん中を割いて、すっかりワインレッドに色づいたあずきを竹でできた小ぶりなザルに音を立てながら入れていった
竹のザルに溜まったあずきをまとめて、おはぎを作る用に甘く炊いてくれた
まだ、この頃は私も小学生で、学校から帰るとおばあちゃんが居る納戸の部屋に入っては、おばあちゃんと過ごした
おばあちゃんはテレビをつければ、ニュースや「大草原の小さな家」を観ていた
昼間は、庭の草取りと、畑の世話をした
「(ちび蔵)はね、そのまんまでいいから、正直に生きなさい」
祖母が名づけ親。
弟や妹のような要領の良さはなく、保育園のときから男の子にからかわれて、転んでばかりいて膝小僧を擦りむき、毎日泣きべそばかりかいていた
「桐の箱入りで育てられたから」
と私がいないところで、代名詞みたいに言われていた
それは大人になっても同じだった
ー人の為にあくせく生きたいー
友達が近しい人を紹介してくれたり、それなりに探したりしてみたりもした
友達は「家がちょっとね」とあからさまに
相手を否定したこともある
守られているばかりで、一生を終わっていくように思えた
知らないところで誰かが傷んで、
痛んだ心を分け合いもしないで、
ぬくぬくと生きていた
あの夏の終わりにヒグラシを聞いていた午後から、私だけが変わらないでいる
私はある人を信じて、つらい思いをさせてしまった
全然違うのに
今までこんなことはなかった
だから、
これ以上のことは書けないけれど、
こんなに他人から守ってもらったことがなくて、私の心も切り刻まれてしまいました
ありがとうでは足りません
誰かのために生きることを学びました
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