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満月ダイアローグについて

音楽でも、舞踊でも、演劇でも。
「Live」  が好きだ。

だけど、いま自分が主催するなら。
ただの「 Live 」をやる気にはならない。

素晴らしい Live が、世界中にすでに山ほどあることが、わかっているから。

では、いまあえて、自分がなにか主催するとしたら。


【 演者  →  観客 】
この、表現の一方通行の定型を、壊してみたいと思う。

そして両者の間にあった垣根を、完全に溶かしてみたい。


【 演者 →  観客 →  演者 →  観客 →  演者 → ♾️ … 】

これがやりたい。

いや、むしろ、
「演者」「観客」といった文言すら、存在しないような場が作りたい。

そこにいる全員が、「表現者」であれるのなら、とても嬉しい。




誰かが、まず放つ。

音を、動きを、表現を。
ただ、場に置く。

過去には【演者】と呼ばれた人たちが、初めにそれを、やる。


それを受けて、居合わせたひとたち…
過去には【観客】と呼ばれたひとたちが、今度は放つ。


手拍子を打ってとか、コーラスに加わってとか、合いの手入れてとか、そういうのではなくて。

目の前の人間ーー「表現をはじめるひと」の、真ん中から放たれたもの。

それが、自分の目の前に置かれたとき。
それを受けて、自分の内側から生まれる言葉を。
線を、呼吸を、感情を、身体感覚を。

安全な場所に、放つ。

スケッチブックや、対話のテーブルの上に、放つ。
場に、ただ置く。


自分から生まれ、そこに置いてみたものを、ただみる。

それだけでいい。


もしそれを、他のみんなにも見える場所にも、置いてみてもいい、と思えたのなら。
ぜひ、そうしてほしい。

それを受けて、他者からまた、何か生まれるから。
そんなふうにして、響き合いは、続いていく。


もしも、感じたこと、生まれたことを
「みんなに見える場所に置くのは気が進まない」
と思うのなら。

スケッチブックや、胸の内。
自分にしか見えない場所に置くだけでも充分。

どちらでも、大丈夫。


無闇な共感は、不要。
賞賛も、批判も、無用。

「ただ、あなたが、そう感じた」

それだけで充分。




それが、喫茶店で去年から定期的に開かれている

『オープン・ダイアローグ =  開かれた対話』

のカタチ。




これを、参考にしている。
そんな Liveが、やりたい。

そんな Live なら、【演者からの表現】だけでは作り得ないような、複雑で豊かな響き合いが起こると、確信しているからだ。


かつて「観客」と呼ばれた人たちだけでなく、「演者」と呼ばれたひとたちにも、その響きあいの体験は、かけがえがない。

巻き起こった波紋は、次の表現へと、拡がっていく。




人と人との間で起こる、響きあい、循環のなかで、

予期しなかった自分の反応に驚くかもしれない。
理由のわからない涙に心身ときほぐれるかもしれない。
自分の中、奥深くに潜ってしまったカケラを拾うかもしれない。


何も起きなくてもいい。
その場にいて、何かは感じている、という事実だけで充分。




誰かに話を聞いてもらいたがっている人は、たくさんいる。

だけど本当は、誰より何よりも、

【自分自身に、自分の話を聞いてもらいたい】

それが人間なんじゃないかなと、近年ずっと感じている。


だから、自分の内側から、何かが出てきたなら。

ただ見てあげる。ただ聞いてあげる。
ジャッジしなくていい。

「ただ、ある」

それを知れただけで。
自分の本当の姿を、自分で一つ、確認できただけで。

随分と安心するものだ。


ひとりきりでやるのではない。
みんなで、やる。

みんなでやるから怖いのではない。
みんなでやるから、安心感がある。




音楽と舞踊。そこからはじまる、対話の時間。
そこに集う全員が、主軸のひとりとなって、創造するイベント。

それが、

「満月ダイアローグ」


10月の満月の夜。
喫茶店で、場を準備して、お待ちしています。


ここに集うすべての人にとって、自由と、生きることへの希望を感じられる時間になったら嬉しい、と考えています。



詳細・お申込はイベントページから。






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