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すきを伝えたい


『不立文字』木の枝の書道

不立文字(ふりゅうもんじ)とは仏教用語で
悟りの内容は言葉や文字で伝えられるものではない。
仏の教えは師から弟子に心によって伝えられるという以心伝心の境地だそうです。

Youtubeの有名な医師が言ってる
ノンバーバル(非言語的)コミュニケーションが思い浮かんだ。
相手の表情・目線・声のトーン・身振り手振り・服装・匂い・着席位置などがあるそうです。
これ全部を意識的にコントロールできちゃう人間がいたら
天才的な詐欺師だよね。

だから、どんなに隠していても、自分が相手に思ってることって不思議と伝わってしまうらしい。

わたしはわりと口下手な方で物静かになりやすい。
会話がずーっと絶え間なく続く人を見ると羨ましくも感じる。
会話を気楽に続けてもらえると、沈黙が無くて気が楽だ。
おしゃべりそうな人と会話が思いつかずに沈黙が生まれる時、焦りが生まれる。
そのように感じるということは、自分の中に相手への怯えや緊張感が未だあるということなのかなとも思う。

けれど、先日同席した女性は沈黙の時間が全く苦にならなかったのが不思議だった。
部屋の中で、そういえばずっと沈黙だったことを忘れていたくらいに気まずさが無く過ごしやすかった。

この差はいったい何だろうかと考えたとき、
無意識的に相手に対しての気持ちが互いに通じ合うノンバーバルな以心伝心を行っているのだろうなと思った。
きっと、相手も沈黙が好きで、私のことも嫌いではなくて、そこに無理がないんだろうなと。

おしゃべりが大好きな人の中にはいくつか種類があるように思われる。
単純に思っていることをなんでも話す人
沈黙が怖い人
相手のことを知りたがる人

言葉は一見するとダイレクトで最も明確な意思表示のツールではあるけれど
言葉に頼らない非言語的コミュニケーションの方がより強く相手に影響を与えているのだと知ってからは、
相手に好意の気持ちを伝えたいときに、どう言葉で表すか、言えるか言えないかよりも、心でよっく念じることにした(笑)
念じていれば、作為的な言語が無くても、それが動きとなって自然と伝わるから大丈夫。と思うと沈黙が訪れても焦ることはない。

それでも相手との沈黙が気まずくなったときは、自分の心の中に
相手に対する思い込みや投影といったものが含まれて壁になっているのかもしれないということに気づくことの方が解決しやすいのかもしれない。

だから、先生に会いに行くときは、
診察中に手の動きがこうで目線がこうで・・・なんていちいち考えてやってられないから、おしゃれも大事だけど、まずは心の中で
大好き!という気持ちでいっぱいにして、あとは無意識の自分にまかせるんだ。きっと伝わってるとよいな。
ひらけ、わたしの瞳孔(笑)

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