原爆の日
8月6日 8時15分
75年前の今日、原子爆弾投下により
広島が焼け野原となり
数えきれない程の人の命と共に
夢も希望も未来も全て失った日
広島で生まれ育った私にとっては
毎年この日は苦しく、胸が痛くなる
簡単に今の平和に感謝!だなんて言葉は軽率すぎて、他人事のように感じすぎて言えるべき言葉ではないと認識している
ただ、SNSを見れば朝からTwitterみれば
安易に平和である事に感謝の言葉を述べるツイートに目がつく
ねぇ
今日は平和に感謝する日じゃないよ
今日という日は原爆の被害を受けた人に対して追悼の意をもって
先人に対するお悔やみの日であると共に
次の世代へ悲惨な出来事があった事を再度認識する為の日でもある
平和に感謝だなんて
そんな軽々しく発言するな!と怒りすら覚えそうになる
昨年の今日は仕事で大阪にいた
驚いた事は
原爆の日に対して疎いというか
特に気に留めている人が周りに誰一人いなかった
昨年、生きてきた中で初めて広島にいなかった
広島以外で原爆の日を迎えて
衝撃的な1日だった
だからより一層に8月6日は私の中で大切な日となりました
私自身、今この場に存在できている事
生きている事は奇跡に近い
75年前の今日
祖母は広島駅の近くに住んでいて
外で家事などの作業をしていたそうだ
たまたま他の用事があって
祖母はその場所を離れた
離れている間に原子爆弾が投下された
ちょうど祖母は爆風から逃れれる場所にいたそうだ
その後、元々自分がいた場所に戻ると
そこは爆風によって荒れ果て、ガラスの破片が散乱している状態
もし、その場にいたのなら命はなかったと
私の母親もこの世に生を受ける事もなかったと
ほんの数分
そこが命の境目だった
75年前に原爆投下がなければ
私の世代にもっと沢山の命があったであろう
75年前の今日、本来であれば
時を経て、出会えるはずだった沢山の縁や、友を失った
原爆さえなければ出会えたはずの
親友、大切な人
そんな人々へ追悼の意を
そして、今日は平和に感謝する日ではない
復興へ向けて、焼け野原になった地を諦めずに生き抜いてくれた
先人の方々へ感謝すべきである
被曝し、何十年も後遺症の苦しみの中
次世代の為に戦争や核廃絶を訴える人の話に耳を傾け理解しなければならない
平和の鐘を聞いて、8時15分に黙祷して終わり
そんな日じゃなくて
今日一日という日
今日という日を真剣に一生懸命生きてみませんか?
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