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もう2つの持病

みなさん、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?ちゃあこです。

新シリーズ!!!!!!
私の過去をお話する時がきたのかなと思います。
どうやって皆様にお届けしようと考えまくった結果、時系列よりかは事柄別のほうがいいのかなと思いました。
第一回目は双極性障害の発症のきっかけの1つになった腸の病気、婦人病について書きます。


私には先天性臍帯ヘルニアという持病がありました。簡単に言えば生まれた時に脱腸している状態でした。
だいたい10,000人に1人くらいの割合です。
私の場合は手術してその後3ヶ月くらい保育器の中で治療していました。
お医者さんが頑張ってくれ、両親が懸命に看病してくれたおかげで、0歳の時の2回の手術で無事普通に生活できるようになりました。

その19年後でした。
私は当時公務員試験を受けたくて専門学校に入って勉強の日々を送っていたのですが、急に強烈な腹痛に襲われ始めました。座ってられませんでした。
最初は町医者で過敏性腸症候群と言われてましたが、大きい病院で診てもらったところ腸閉塞という診断がつきました。一度開腹してるので癒着が起こりやすく詰まりやすい状態でした。即入院です。
絶食して点滴生活。鼻から腸までチューブを通す治療もしており、これがまたほんとに辛かったです。
1週間ほどで退院してからも、腹痛は治ることなくむしろ悪化。固形物を食べることができず、救急に通う日々。しばらくして、体に負担はかかるけども違う検査をしてみようということになって初めて腸が固定されずに偏った状態になっていることがわかりました。
腸の位置を固定する手術を受けることになりました。
それが20歳になったばかりの時でした。
手術は無事成功しましたが、体の回復はかなり時間がかかることをこの時私は知りませんでした。
お腹の動きも悪く、前みたいな状態に戻るのにはいつになるんだろうと毎日不安でした。

不安感が増し精神科を紹介されて、双極性障害という診断がつきました。ここから、双極性障害と腸の方の同時治療でした。

3ヶ月に一回くらいは腸の方と双極性障害とのW受診で大変でした。
2つとも薬を飲まないとなかなかよくならない病気で、私の心はボロボロでした。

勉強のほうは手術の前後は体調が悪く公務員試験を受けられない状態でした。
なので、半年休学して翌年春に復帰することになりました。
翌年、1つ内定をいただくものの、心身不調だったので内定辞退せざるを得なかったです。
後に受けた試験は結果どこも受からず、就職内定をもらわないまま卒業になりました。

パートで就職するも、通院も大変だったし、腸の方もあまり良くなりません。
仕事を辞めてしまったりもしました。ですが、通院はやめませんでした。そこは諦めませんでした。

そして手術から8年でようやく腸の方の通院卒業を迎えることができました!
薬無しでも腸が動いてくれるようになりました!これは大きな第一歩でした。

現在でも運動をして腸を動かす、消化の悪いものの食べ過ぎには十分注意するなど腸に配慮して生活しています。

さらに、月経困難症(生理がめちゃくちゃ重くて仕事休んでました)もわかり、低容量のピルで治療をしていくことになりました。生理前特に鬱の症状が重くなりやすかったので、薬を飲むようになってからは生理と精神的な症状が劇的に軽くなりました!今も飲んでます。
月経困難症は生理が重いなと思ったらすぐに受診することをお勧めします。体質だから仕方ないと思うのではなく、早期発見して治療した方がいいです。
20代にしてトリプル治療してたんですね笑笑


この出来事で学んだことは
・人生何があるかわからない
・健康の大切さ
・やり抜く大切さ
・意外にも時間が解決してくれる

人生何があるかわからないはもう身に染みてます。なので、何かが起こっても乗り越えられてるのはこれのおかげだと思います。
健康で普通の生活が送れていることはとてもありがたいかを感じました。
やり抜く大切さは、本当は手術終わった時点で学校辞めてもいいかなと思っていました。ですが、学校に入って頑張ることは自分で決めたことなので辛かったですが、卒業はすることができ、やり抜いたことで自信にもなりました。
意外にも時間が解決してくれるは、8年かかっちゃいましたけど、トンネルにも出口があるんだと感じました。双極性障害も焦らずこうやって考えていけばいいのかなと思います。

次回は双極性障害になった原因他にもあります。一体ちゃあこに何があったのか!?


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