見出し画像

フィールドノートの声を聴く①~2023年春セネガル トゥアレグインタビュー~

このnoteは、私の記述したフィールドノートをまとめたものです。


期間

2023年3月24日~2023年4月8日
セネガルのダカールに滞在

インタビュー対象

ニジェール出身トゥアレグ人2人
トゥアレグジュエリー職人

背景知識

トゥアレグについて語ると本論(フィールドノートの記録)に入れないので、触りだけを記載しておく。

トゥアレグ人とは

北アフリカの先住民族とされるベルベル系の民族。古くからサハラ砂漠にて遊牧を営む。
マリ、ニジェール、ブルキナファソ、アルジェリア、リビアの5か国にまたがる広範な居住域。
言語はタマシェク語 Tamasheqを使用。
ヌミディア王国に起源を持つとされるティフィナグ文字 ⵜⴼⵏⴰⵖを使用。

社会的周縁性を孕む彼ら

遊牧と国境はどの地域においても相性が悪い。
フランスによる植民地支配が始まった頃から、支配地域内にて周縁に置かれてきた。
植民地支配終了後、サハラ砂漠地域での近代国家成立時においても、その広範な居住域は5か国に分断され、数的にも少数派となった。

それに伴い、1963年から複数の反乱を起こしている。
1963年のそれを「第一次トゥアレグ反乱」(マリで勃発)と呼び、次いで1990年のニジェールにおける「第二次トゥアレグ反乱」が起きた。
そして2012年1月17日、マリ北部紛争が勃発した。
トゥアレグ人を主体とする反政府武装勢力 MNLA(Azawad National Liberation Movement:アザワド解放民族運動)は、同年4月6日にアザワド自由国建国の「アザワド独立宣言」を発表した。

独自の文化を有する

トゥアレグはイスラーム教を信仰している傍ら、独自の信仰を保持している人が多い。
例えば、通常のイスラームの教えであれば女性が肌を隠すためにヒジャブなどといったものを着用する。一方、トゥアレグの場合はそうした制約はなく、逆に男性が肌を覆う文化を有している。
青色の民族衣装が砂漠に映え、「青の民族」といった名前で紹介されることも多い。しかし実際は青以外にも黒や白といった別の色の民族衣装もある。

私の一番の関心でもある遊牧を古くから営んできた。彼らは砂漠の岩塩を運び、穀物などに交換して、その穀物を家に持ち帰ったりお金に変えたりして生活を営んでいる。
これを塩の交易「アザライ」という。

トゥアレグジュエリー

伝統的な銀細工を指す。
古くから世襲制でその技術が引き継がれ、HERMESからそれが発売されたのち、欧州を中心として人気が広がっている。

インタビューの目的

これを書いている時点で学部4年の私は、学部2年次からトゥアレグに関しての文献を読み漁ってきた。
サハラ砂漠情勢に詳しい方であればお分かりだろうが、現状のサハラ砂漠地域は危険地帯となっており、迂闊にフィールドへ乗り込むことはできない。
したがって、どの文献も2010年代前半までのもので記述が終わってしまっていた。

砂漠でのキャラバンが本当に今も行われているのか。2012年の独立宣言に関してどう思っているのか。別地域に住むトゥアレグたちとの連帯感は存在するのか。

言語化出来そうで出来ない、様々な疑問があった。

彼らがメインで住んでいる場所には危険すぎて渡航はできない。そんな中セネガルにてトゥアレグジュエリー店を営んでいるトゥアレグがいるという情報を耳にした。

一度会ってみようということで、セネガルへ飛んだ。

インタビューA

実施日

2023年3月27日

対象

トゥアレグジュエリー職人。アフマド(仮名)

内容

彼はTchindouaneという小さな村で生まれた。トゥアレグが多く住むニジェールの都市アガデズAgadezから90キロ南にある場所だ。
※Google mapにて観測不可

アガデズの50キロ北にアゼルAzelという町がある。1956年に学校が始まり、地方からもアゼルへ子どもたちが集中したという。
平日の間、遠いところから来ている子どもたちは、学校で寝泊まりをしたそう。

1960年から70年のあいだ、政府は教育を重要視せず、義務教育がなくなったという。そのため、住んでいる場所によっては学校へのアクセスが出来ず、教育を受けない子どももいたという。

ティフィナグ文字の衰退

言語について、社会的地位が上になればなるほどフランス語を使用するよう。現在トゥアレグたちは会話はタマシェク語であるが、書き言葉はアルファベットを使用している。そのためティフィナグ文字は徐々に「歴史的な文字」になってきているそう。ティフィナグ文字が使える人も、使わなくなってきているという。

アフマドも、彼の両親はティフィナグ文字をかけるが、彼自身は自分の名前しか書けないと言っていた。

また、職業によってもティフィナグ文字を書くかが変わるそう。アフマドのような(トゥアレグジュエリー)職人は、名前やサイン、ジュエリーへ彫るもののみ。

※一方で、私がティフィナグ文字で書いた私の名前を彼は読めていた。表音文字として読みは習得している可能性が高い。

インタビューB

実施日

2023年3月28日

対象

トゥアレグジュエリー店オーナー(兼職人)ハッサン

内容

ニジェールのタウア Tahoua出身。
彼も同様に両親はティフィナグ文字が書けるが、自分は読みだけと言っていた。

キャラバン交易の継続

彼によると、今でも「アザライ」は続いているそう。
アガデズを12月に出発し、オアシス都市ビルマBilmaを目指す。4月までの長いキャラバンである。これに参加するのはトゥアレグ男性のみ。
ビルマでトゥープー人(フィールドノートには”トブ族”と記載)の男女から塩を購入する。
アガデズからは家畜やミレット(雑穀)を持っていき、それをビルマで塩に交換。さらにその塩を大きな街でお金やミレットに交換し、アガデズに戻るという。

マリのアザライ(ティンブクトゥからタウデニ)は小規模すぎてキャラバンとは言わない、と言っていた。

トゥアレグの仲間意識について

前述のとおりトゥアレグは5か国にまたがる地域に住んでいる。彼が言うには、トゥアレグとしての仲間意識は存在するものの、基本は各国で個々に生活している。

トゥアレグ人の見分け方

バンバラ人やプル人などとの混血が進んでいるため、見た目でトゥアレグと判断することはできない。ではどうやって見分けるのか。雰囲気や歩き方というのもあるらしいが、私が面白いと思った2つの方法を紹介する。
一つ目はターバンの巻き方である。
マリのトゥアレグは巻き方がテキトーで、ニジェールのトゥアレグは巻き方が丁寧らしい。
年代で巻き方は変わり、年を取ると丁寧に巻き、若いとテキトーな人が多いそう。トゥアレグだと主張する”もどき”もいるそうだが、ターバンの巻き方に違和感があるため、すぐに偽物だとわかるらしい。

しかし、夜道を歩くとわからないので二つ目の方法を紹介する。
それは握手の仕方だ。
トゥアレグの中でハイタッチは無礼となっている。
挨拶の言葉を連ねながら、握手の手を滑らせまた握る、といった行為を繰り返し、最後にぎゅっと深く握手をする。
どのくらい会っていないかでその握手の長さが決まり、女性も変わらず行うそう。訪れた人側から挨拶をするらしい。

国境について

現在、各国の国境付近にはAQIMやアンサール=アッ・ディーンといったイスラーム系武装諸勢力が力を強めている。
しかし、彼らの力が強くなる以前は、自由に行き来していたそうだ。
現在ではマリ=ニジェール間、チャド&ナイジェリア=ニジェール間をイスラーム系武装諸勢力がコントロールしているため、通行することは容易ではないそう。賄賂を払えば大丈夫らしい。

また、武装諸勢力はニジェールへの出入りを繰り返す。
人や家畜を襲撃→金を払わないとまた来るぞと脅す→金払う→また襲撃
みたいな負のサイクルを繰り返しているそう。

「たまに武装諸勢力が来るときは危険だけど、事前情報が来るから逃げ切れるし安全だよ」と言われたが絶対危険。

おわり

今回の渡航で、実際にトゥアレグと話すことができたのはとても良い経験だった。また、実施日が1日しかないがその他の日にちも快く色々なことを教えてくれた。
なかでも、彼らの言語タマシェク語を多く教えてもらったのはすごく貴重なことだったと思う。タマシェク語に関しても余裕があったらまとめたい。

快くインタビューを受けてくださった2人、そして拙いフランス語を話す私をサポートしてくださった方に深い感謝をお伝えします。
次回は是非とも自分の語学力で、色々なことを聞けるようになりたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?